日曜コラム 木を伐る
先週の日曜日、午前中は埼玉県比企丘陵、森林公園の北側にある、
テニスコートほどの空き地、私の家族の呼び名ヤマに出かけました。
今回の目的は、幹の太さ20センチ、高さ10メートルほどに成長した、
ケヤキのような木を伐ることでした。
この木を伐り倒すと、前の道路を完全にふさいでしまうので、
伐ったのちに、素早く木を道路わきに引きよせ、枝を寸断して、
片づけなければなりません。
そのために、のこぎりではなく、チェンソーが必要ですが、
なかなかレンタルできず今に至っていました。
すると、養蜂をやっている二男が、会社にチェンソーがあるから、
持っていけるというのです。
私たちにとりこの大木を伐るのは小型のチェンソーでは、大変なことでした。
木を伐ったのは、私ではありません。二男です。
彼はある程度、太い木を伐る段取りを心得ていました。
倒すときの方向を決めて、どんな角度で、幾つの切り込みを入れるかを
決めるわけですが、その間にも、チェンソーにオイルを入れ、ガソリンを
補給するなどの作業もあります。下手に切り込みを入れると、
木の重みで、チェンソーの歯が動かなくなってしまいます。
それだけならまだいいのですが、不慣れな人はチェンソーを
木に挟んでしまいます。そうすると、容易には
抜けなくなってしまうことも多々あります。
息子は毎日、自然を相手に仕事をしており、チェンソーを使う機会が
あるのでしょう。上手に大きな木を伐り倒しました。
一昨年の夏から始まったヤマは一年半かけて、足の踏み場もない
雑木林から、更地へと変わりました。
息子たちがいる時は、力仕事などはすっかり彼らがやるようになりました。
こうして、一つづつ、世代が交代してゆくのだと思います。
舜発的力なら負けないといきがっても、若さの持つ柔軟な体力に
勝とうなどと考えるのは、年寄りの冷水。
勝ち負けで競っても仕方なく、譲る精神こそ大事。
精神という「ソフト」は朽ちることはないですが、体という「ハード」は
必ず耐用年数というのはあるはずですから。
木の片づけもあるので、私は弟に応援を頼みました。
私たち夫婦と息子と弟で、伐った木は寸断されました。
家内が道路を、大きな篠竹で作った即席の箒で吐き、
私たち三人は、薪となる木をヤマの空地へと運びました。
その後、半年ぶりに弟と三時間ほどテニスをしました。
ジミー・コナーズ、ジョン・マッケンロー、ビヨン・ボルグの時代から
私たちはテニスをしています。
フェデラー、ナダル、錦織とテニススタイルも劇的に
パワーとスピード、そして正確さが増しました。
しかし、テニスを楽しむ気持ちは、愛好家すべてに
公平に与えられています。無理せず、楽しく、元気でテニス。
しかし、二日後、階段を二段づつ上がる体が重いのは、
どうにもなりません。