名ばかり大学生
私がこれからお世話することになるある留学生のお父さんの勧めで
「名ばかり大学生」という著書を読みました。
著者の河本敏浩さんは予備校講師等を経験され、日本の大学受験生の現実を
見てきた故のその批判的論旨に、私は驚かされます。
大学全入の時代となり、特定の難関校への合格を勝ち取るため、
小学校のうちから熾烈な受験準備を強いられ、訓練に訓練を重ねている
中学受験生は、小学校六年までで、地方の国立大学に合格できるだけの
知識を得ると彼はいいます。
とても、優秀な生徒が都市部では量産されているにも関わらず、
地方では、受験対策の量と質の面でハンディがあり、負けると
分かっているために、生徒たちはチャレンジしないという河本さんの
意見は私の「教育」に関する視野を広げるのに、参考になりました。
学力や知識がないにも関わらず、大学に入り、
その後は勉強をせずに卒業していく学生たちの現実を知らされて、
このままでいいとは、誰しも思わないでしょう。
確かに、現行の大学受験システムが、今の成熟した日本の社会に対して、
機能しなくなりつつあると私も思います。
毎年この時期に繰り返される、厳冬のなかでのテスト競争。
得点数1点2点差で合否が分かれるという、受験生側からすると、
むなしくなるような競争原理に、悲観の声があがるのも当然と言えます。
現役大学生の基礎学力のなさ、勉強や学習に対する好奇心のなさなど、
それを作ってきたのが、旧泰然とした受験システムであるというわけですが、
では、どうしたらそれが解決できるかということです。
当然、受験システムを変えるということになります。
ところが、問題はそれがすぐには変わらないところです。
がっちりと積み上げられてきたシステムは、崩そうすると、
いろいろなところでそれに携わる人や組織に影響するため、
マイナーチェンジのような形でしか、変えようがないというのが、
教育の世界においても、「現実」ではないかと思います。
国内だけで競争し、頂点の大学への入学を勝ち取っても、
安泰である生活の保障などないと解ってはいても、それ以外の選択肢が
見当たらないために、システムは古いまま、存続されていきます。
また、上位グループによる競争はこれからより頂点を求めて、
激化されることになるでしょう。
大学側も学生たちに勉強をさせようと、あれこれとその方法を考えていると
思いますが、基礎学力が欠如しているのに、強制勉強させても、
砂上の楼閣であることは誰でも理解に難くありません。
ではどうしたらよいのでしょうか。
教育の選択肢を世界に求めることと私は思います。
これは、個人にその意思があれば、すぐに実行できます。
それが最大の利点です。その方向に学生たちが自ら動き出すとき、
彼らの意識が日本の教育を変革する原動力になると私は思います。
基礎学力がないというのは簡単ですが、何万回それを唱えても、
学生がその気にならなければ、全く用をなしません。
日本のなかだけで考えていては、まさに「ゆで蛙」状態です。
その環境から飛び出してみて、海外でとても「熱い」湯につかって、
はじめてあつい、たまらない、どうにかしようと「行動」を
起こせるのではないかと私は思います。
名ばかり大学生、その問題点をシステム改善に求めるのではなく、
大学生一人ひとりが、選択のための勇気とチャレンジ精神を
持つことで、日本の教育は必然的に変わると私は思います。