就活する若者
私のオフィスがあるパレスサイドビルには、就職情報大手企業、
マイナビがあります。一階には最近、大手進学塾もオープンしました。
そのせいもあり、大学進学を目指している高校生や就活中の多くの
大学生を毎日見かけます。
就職活動中の若者は男女とも、黒いスーツを着ています。
判で押したようにみな同じ恰好ですから、すぐそれとわかります。
エレベータホールで、あるいは乗降時、彼らから時々挨拶されます。
エレベータを降りるときは、「どうぞ」と言わないまでも、
「開く」のスイッチを押して、私を先に降ろしてくれます。
彼らにとって、ビルのマイナビフロア全体が就活の対象と認識し、
間違えのないように「振舞う」のだと思います。
彼らはとても礼儀正しく、言うことはなんでも聞きそうです。
現代の情報化社会のなかで、おとなしい若者、従順な若者を
評して、あるお父さんは、彼らは小さなときから、勉強づけと言いました。
小さなときから、そのようにプログラムされている、
そのように「刷り込まれている」とも言いました。
彼らは確かに、知識豊富で、ものごとの飲み込みも早いと思います。
自分の説明や「与えられた」質問に対してもそつなく答えられると思います。
就活においてのマニュアルは、しっかり彼らの頭に入っています。
「受け身」的知識は完成の域にあるのかもしれません。
私はこの若者の「受け身」傾向は先進国全部が持っている
共通の社会的な悩みと思います。
日本の場合、青年男子の草食化傾向は、バブル崩壊以前の社会のニーズに
対する余波の影響ではないだろうかと思います。
すなわち、大量生産、大量消費時代に求められていた、規格内での優秀人間です。
独創性、個性などよりも、協調性、追従性、勤勉的態度が
その時代の「暗黙」の人材に対する了解事項であったのではないでしょうか。
若者たちは、会社に入社してから、「現実」を切実に認識し、厳しさに
気づくのではないかと思います。
「厳しさ」とは、自分は会社によって守られるわけではなく、
会社が自分の人生をギャランティーすることもありえないということです。
そこで初めて、個性の意味や独創性の活用が人生にとって必要であることに
納得する。それゆえに、自己啓発や自己の能力開発に惜しみなくお金を使う。
私はこのビルでよく見かける若者よりも10歳くらいより若い人の
お世話が仕事です。とても若い人たちのお世話をしています。
一人ひとりに個性や独創性などを感じます。しかし、それに
彼らは多くの場合、気づいていません。
私は気付かせるために彼らを誉めますが、そこまでです。
あとは、彼らが海外にいき、そこで自ら自分に気づき、それを伸ばし、
将来設計の素材となるよう努力をするということなのです。
「自らに与えられた個性的素材は必ず見つかる」、これは私の信念です。
それは、置かれた環境が厳しければ厳しいほど、早く発見され、
伸ばされると私は思っています。