日曜コラム 焚き火
久しぶりに友人と会い、食事を共にしました。
その友人は私よりも一つ年上ですが、とても料理が上手なうえに、
たいへんな物知りで、諸事なんでも答えられるという特技の持ち主です。
ここ二年ほどお互いに、うまく都合がつかずに会っていませんでした。
彼は私に会うなり、「どう、忙しい?えっ私?、いやー、年取ると若い時のようにはものに集中したり、気力で押し切ることが、できなくなるね。これからは、自然に生きたいね」と切り出しました。
彼によると、物知り、インテリで、オールマイティ-であることは、
ある面でとても疲れることなのだそうです。
彼は対人関係において、故淀川長治さんが言ったように、
『私は未だかつて嫌いな人に会ったことがない』ということに、
賛同し、また自分もそうであると言うのですが、
それだからといって、人の期待に答えられるように、場を作り、
話を考え、プランを立てるといった一連の物理的、精神的作業の
レンジが年とともに短くなってゆくということなのでしょう。
期待に答えるというよりも、すなおに考え、相手の良いところを見出して、
共感し、そこから話を組み立てるといった議論に発展しないのが、
彼と私との関係といっていいと思います。
自然に暮らすという話題になったので、私は我が家の「ヤマ」の
状況について彼に話しました。
テニスコートくらいの広さ、前は田んぼが広がっていて、
その先は比企丘陵森林公園、15年ほどほっておいたので、
篠竹と蔦で足の踏み場もなくなっていて、ジャングル状態だった
我が家のヤマ(土地)を、一年半くらいかけてやっとさら地にしたという
話をしました。
これまでに伐採した篠竹を燃やして、私も家内も顔も目も「火焼け」して、
ひどいめにあったこと、アルミホイルで包んで、里芋やサツマイモを
やこうとしたが、おおかた炭かあるいは、焦げてしまい、
うまく焼けないことなどを彼に話すと、彼の目が輝きを増し、
では、私が焚き火奉行になるというのです。
ヤマにはまだ、伐採した木が残っているのと、道路にはみ出すように
成長した幹20センチ以上の欅のような木を切る必要があり、
焚き火材料には事欠きません。
また、篠竹の根がヤマ中に這っていて、土地を耕すのがとても大変と
言うと、彼は、さらにともだちにも声をかけて、
一緒に耕そうといいます。
私は農作業をしっかりやった後、焚き火でじょうずに料理を作り、
皆で食べたら、美味しいだろうと想像しました。
しかし、果たしてわれわれは農作業を一日、敢行できるだろうか、
途中で音をあげないだろうかとも思います。
しかし、やってみなくてはわからない。すなわち、良いほうを
取って考えようと思います。
すこし暖かくなったら、友達の力を借りて、
ヤマをより活用したいと思います。