アメリカボーディングスクール留学―「他人の釜の飯を食う」
日本からの留学生が異文化の中で痛切に感じること
それが、他人の釜の飯を食うということではないかと思います
現代社会では、セクハラ、パワハラなど、弱者を保護する構造に変化しつつ
あるように思うのですが、10代前半から半ばの生徒たちの留学においては
異文化のなかにあって、いくら周囲から保護されようとも
食事の違い、日常のちょっとした常識の違いなどは
保護されようにもその限界は明らかです
他人の釜の飯を食うという諺に込められている思いは
自分の思い通りに行かないことから学び考えて
それに適応できる柔軟性を作ることだと思いますが
それを体得することが容易でないことを留学生たちは現場で思い知らされます
それでも彼らが留学を続けることができるのは
本来人間に備わっている生きる力のおかげではないかと思うのです
はたして日本にいて、初等、中等教育を受けて生きる力が養われるでしょうか
他人の釜の飯を食わずして、生活ががっちりプログラムされ
日々のルーティーンが決められ、小さなうちから、多忙ともいえる
スケジュールをこなすことに、彼らは疑問を自ら投げかけることはできません
留学は英語を話せるようになることや、異文化を理解することに加えて
自分とは何かを若いうちに考えさせる機会を与えてくれます
それは、大学受験という道筋には、必ずしも必要とはいえないかもしれませんが
長い人生を考える時、これほど重要なことはないように思います
組織やシステムに頼れた時代はとうに過ぎたように思います
いい大学に入ったので、いい人生がおくれる
安定した生活が獲得できると考えられるでしょうか
そのような現代であるからこそ、他人の釜の飯を食うということの
重要性が改めて認識されてもいいのではないかと思います