日曜コラム 受かることと学ぶこと
合格することを英語でpassと言います。名詞形はパッシング。
パッシングとラーニングは明確な違いあると思います。
しかし、日本の現代の文化では、資格がより重視され、
ともするとその本質が忘れ去られることが多くはないでしょうか。
パスするまではとてつもない努力が強いられるが、
一度パスしてしまうと、あとの努力がなおざりにされる、
大学受験がその象徴ではないでしょうか。
今年の私のパッシングは剣道でした。念願だった五段をいただきました。
今年の稽古納めの今日、納会では何を言おうかと考えています。
話がまとまりません。審査に受かることを、先生や同胞に
感謝するだけなら、すんなりと言えます。
しかし、パスして、これからのことが、問題です。
昇段は、剣道という世界で認められたから達成できたのですが、
それゆえに、躍起になって試合に出るわけでもなく、
趣味として剣道を行っているわけで、それで生計を立てているわけでは
ありません。
観念的なことがらに思いめぐらせるよりも、
その原点にある、自然な気持ちに従ったほうが、爽快な気分になります。
剣道を通して何が学べるか、獲得できるか、理屈よりもいろいろな人と
立ち会っている時が楽しい時です。
現在高校三年生、剣道二段で、中学時代から一緒に稽古をした青年がいます。
二年前までは、私が彼を圧倒していましたが、
最近は段々と彼の技量が向上して、昔ほど単純には面が取れなくなりしました。
「大したもんだなあ」とつくづく思います。
それでも彼は、三段に合格できずに、自らに納得できない様子です。
彼と私は段位には大きな格差がありますが、
これから、彼が剣道を愛しつづければ、一年もたたないうちに、
私は彼にかなわなくなるでしょう。
若さの持つエネルギーは、どうしようもなくすごいものだと思います。
ただし、そのエネルギーは精神の集中がなければ、絶対に発揮されません。
その点、年配であるところの私のほうが、はるかに安定しています。
キャリアが長いということは、当然ながら、続けうるだけの精神を
持っていたということの実証です。
その分がアドバンテージとなっているがゆえに、10代の若者が
どれほどに面が早く打てたとしても、60歳過ぎの五段に
圧勝できるかといえば、YESではありません。
ラーニングの強みがそこにはあるからだと思います。
正直なところ、五段になったから、その日を境にして私の
剣道が変化したなどということは全くありません。
与えられたものに対して、自分が変わるということは、
おそらくグローバルではありません。
I would rather take learning than passing.ということを肝に銘じて、
私はラーニングの世界を、子どもたちと一緒に追求したいと思います。