日本と英語圏の文化比較―個人の責任範囲
英語圏の個人主義と日本の組織主義、その明確な違いを私は
学校訪問をする度に、いろいろな場面で痛感させられます。
先週末、ニュージャージー州、プリンストンにあるホリデーインで
学校訪問を終えて、夕食のため、ホテルのレストランに行くと、
7割が空席のディナールームは2-3組の団体に占拠されていて、
子どもが走りまわり、大人たちは大声で談笑し、加えてバーカウンターは
空きがないほどの混みようでした。
入口で案内を待っていると、忙しそうなウェイターが
「注文受けてから、できるまでに1時間くらいかかるかも知れない」
―(両手を広げて驚き)オー、1時間もかかる。うーん、ドリンクはOK?
「うん、飲み物は大丈夫」
―そう、了解。
私ひとりであったのと、翌日はフリーだったので、
そこで夕食を取ることに決めました。
注文したのは、シーザーサラダ、フィッシュアンドチップス。
のんびりと、苦味の強いが、こくのないビール、サミュエル・アダムスを
飲みながら、次週の学校訪問のルート確認をしていると、
先ほどのウエイターがグリーン・サラダを持ってきて、
「このサラダなら、今出せるけどOK?」
―あっそう、これでOKだよ。
グリーサラダは、団体客の誰かが間違って注文したのでしょう。
一個、浮いてしまった分が私に回ってきたのですが、
シーザーサラダではありません。
若いウェイターは、私のオリジナル注文でないことを、
私に知らせたうえで、了解するかどうかを上司に尋ねることなく、
私のところに直行してきたわけです。
日本のホテルにあるレストランであればどうだろうかと考えました。
入る時に「1時間も待つ」と言われることも、
間違えオーダーのグリーン・サラダが他のテーブルに直行することも
あり得ないだろうと思います。
日本の会社に勤める外国人と話すと、「上」の許可が日本では
とても重要視されるが、ハンコを押す「上の人」はその具体的な
内容を知っているのかどうか疑問といった意見を良く聞きます。
英語圏では、「上」の判断を仰ぐという概念が日本に比べて薄く、
彼らの文化として「任されている」と現場の人が思うのが当然で、
彼らが判断できない場合は、I have to ask the managerと
自ら「判断」するという仕組が出来上がっています。
これは文化ですから、良い悪いではありません。
「郷に入りては郷に従え」ということわざの通り、
英語圏で学ぶ場合は、日々の様々な判断や権限が個人に任されている
ということを私たちが知らないと大きな戸惑いや、時にはショックを
受けることも多々あるとことを私は皆さんにお伝えしたいのです。
学校を訪問するたびに、日本からの若い留学生が、
文化のダイバーシティ(多様性)を早く吸収してほしいと思っています。