日曜コラム ある小学生の剣道稽古3
マサト君と5本勝負の立会を行うようになってから、
日曜日ごとに、「稽古、お願いします」と彼から私に声がかかります。
私は、以前に息子たちが使っていた3尺6寸(約109センチ)の
短い竹刀を家の納戸の奥から持ちだして、マサト君と稽古をします。
スポーツをやっている人なら、誰でも「勝ちたい」と思います。
誰でも、昨日より今日を、今日より明日を目指して、
より良い結果を生みたいと望みます。マサト君も剣士である以上、
強くなりたい、そして試合では勝ちたいと思っているはずです。
その気持ちを、より刺激して彼を伸ばすためには、
どうしたら良いか、私は考えます。
剣道の世界は、試合に勝つということと、段位を上げるという
ことが並行して行われるのが普通です。
試合では、攻めてうまく当たれば、「一本」となりますが、
段位は、姿勢、打ち方、打った後、などが美しくなければ、
昇段できません。
すなわち、「剣道」のルール、既成概念のなかで剣道を志す人たちは、
稽古に励んでいます。
その既成概念をとっぱらってみると、何がのこるのでしょうか。
勝ちたい、昇段したいという当たり前ともいえる、人の感情を
さらに超えるような概念は一体何かと思いを巡らす時、
私はマサト君や他の少年剣士たちの素直なこころに行きつきます。
彼らは、いろいろな動機で剣道を始めたと思いますが、
結局、真夏や真冬の厳しい条件での稽古に耐えて、続けています。
なぜ、彼らは剣道を続けているのだろうか、と考えると、
「剣道が好きだから」となります。そして、私も剣道が好きで
続けています。
好きな者の集まり、これは先生と弟子というような関係というよりも、
「同士」であると私は思います。
試合に勝つことも、昇段をすることも、プロセスであり、
それが目標ではなく、好きを追求してゆくと、「剣道」という鏡に映る、
自分が見えてくるように思うのです。
単調な稽古も、きつい稽古も、耐えているのは自分自身です。
「耐えて」何が得られるのか、より強靭な体力、健康な体、不屈の精神など、
その価値観を決め、納得し、推し進めてゆく、そのコアに「自分」がいます。
子どもたちに剣道を教えるのではなく、彼らと一緒に剣道を
追求するところに、より楽しく、積極的になれる価値があるのではないかと、
私は思うようになりました。
剣道は一人ではできません。相手がいて初めて成り立ちます。
その相手から、何かを学ぶことで、自分が成長します。
故に、どんな相手であっても、「ありがとう」の気持ちを忘れては、
いけない。いわんや、「敵」などと思っても、何の得もない。
これからも、マサト君をはじめ、同士の人たちと剣道を追求したい、
「剣道」を通じて、自分をよりよく知りたいと思っています