留学生の柔軟思考 → 競争心と独創性
日本で教育を受けてきた子どもたちにとって競争心とは、
恒に相対的なものです。どれだけ競争心を燃やすか、
勝ちにこだわるかは、クラス、学年、地域、国全体などで
自分の前にどれだけの人がいるかで変わります。すなわち、
目標校に合格するというゴールに向かって、どれだけのペースで
どれだけのことを達成すればよいのか、となります。
それをアドバイスするプロはデータと経験をもって、
かなり正確に本人を指導することができます。
そして、戦略と戦術が与えられ、それに従って子どもたちは
合理的に動いてゆくわけです。
夏休み、冬休み、春休みなど、学校が休みであっても、
課題、ドリルなど、解法のパターンを徹底学習するのに、
大変都合よく時間を使うことができますから、とにかく詰め込む、
その徹底ぶりは半端なものではなく、英語圏の子どもたちが
それを聞けば、驚くだけでなく、とてもできない、あるいは
やりたくないと言うと思います。
日本では、できない、やりたくないという子どもは競争に
勝ち残ってゆけないわけですから、いわば「負け組」と
なるわけですが、この教育システムとサイクルが完璧であれば
あるほど、疑問に思う親も増加していると私は思います。
日本だけが、ランキングに固執しているわけではありません。
アメリカ、カナダでは大学入試においてはSATという
センター試験があり、何点とれるかが大学入試の基本となります。
ニュージーランドでも、高校3年間の主要教科の単位認定は、
コンピュータ管理されていて、生徒の成績ランキング、
学校ランキングは明確に出ます。イギリスのGCE-Aレベルでの
試験結果も同様に大学入学の基本となります。
人気の学校に定員以上の入学申し込みがあるのですから、
合否を判定するのに、学力をもってするのは当然ですし、
私は、入試のための学習とその努力を否定しません。
問題は、どうしたら主人公の子どもたちを人として伸ばせるか、
ということです。独創性が重んじられるといいながら、
そんなことにかまっていられない教育システムの現実を
どのように打破するかではないでしょうか。
競争心はことさら学習に関しては、自分に向けるように
考えたいと私は思います。子どもたちに知ることの喜びとか、
楽しさを教えることができたらと思いませんか。
私の知る限り、多くの人が、学ぶことの楽しさを
学生時代ではなく、社会人になってから知ります。
このタイミングを小学校時代、中学校時代にまで下げられれば、
教育はとてもうまくゆくのではないかと思います。
つづく