スロー文明 → ゼロからの出発5
先週土曜日のブログに続きます。
私が言うまでもなく、海を越えての親子のコミュニケーションは
それぞれの家庭の個性が反映されます。
情報革命以前からこの仕事に携わってきた私の思い出の中には、
日々の天声人語を子どもに送ったお母さん、
月に60万円もの電話代(携帯電話のない時代)を使ったお父さん、
外国での卒業式の日に、わが子に2時間も号泣されたお母さん、
エアメールで便箋5枚にわたり、今までの自分を述べてきた生徒、
お父さんと決死の対決をした生徒、数学にとても長けていた生徒、
などが懐かしく思い出されます。
現代はとても便利になり、昔のような手間もお金もかけずに、
海外と自由にコミュニケーションできるようになりました。
しかし、コミュニケーションという意味の原点は、
情報革命には左右されません。
あくまでも、お互いの願いを伝えあうわけで、
その手段はどうであれ、お互いがどのように相手の意見をとらえ、
それに自分の考え方をどう返すかが問題なわけです。
親子という人間関係ほど不思議なものはありません。
第一に教育のプロである先生であっても、わが子の教育に関して
悩んでいる人はたくさんいます。
親がいくら高学歴であっても、子どもがそのラインを親のように
踏襲しないケースもたくさんあります。
親子のコミュニケーションで悩むのは世界共通の課題です。
そのなかで、アメリカボーディングスクールにみる先生のあり方に
私は好感がもてます。
一言でいうと、彼らは自然なのです。
アメリカのボーディングスクールでは、学校の敷地内に住む先生が30%くらい
に達すると思います。親子で生活の場が同じであり、学校という社会が
家族にとっての社会でもあり、プライベートと公がとても無理なく混在しています。
教えることが大好きな人たちとその家族が、ボーディングスクールの敷地内に
住んでいるわけです。彼らのペットたちは、生徒にとっても、
親しみ深い存在であり、学校主催の週末の小旅行などに、
先生家族も参加することも珍しくはありません。
学校内で行われる、デザイン系科目の模擬ファッションショーなどで、
キッズのモデルはみな先生たちの子どもが演じているようです。
私も以前に、ペンシルバニア州、ランカスターでの研修で
ハ―シーパーク遊園地に行ったとき、
地元スタッフが自らの奥さんとよちよち歩きのわが子を
誰の許可も得ずに、連れてきたのに驚きました。
日本であれば、「公私混同」と言われそうですが、
彼らのオープンさ、公私のこだわりのなさ、気を使わないところなど、
人間関係や立場を大変意識する日本の社会に比べて、
ボーディングスクールを見ていて、「あるがまま」でいいなあと
素直に思うことが私は多々あります。
そのような環境で子どもたちは教育を受けるわけですから、
1年もすれば、素直な物言い、自己主張が出てくるのは当たり前です。
それが自然と意識のスイッチを切り替えて、
親子のコミュニケーションを考えてみてはいかかでしょうか。
まず、お互いの意見を親子のフィルターをできるだけはずして、
聞くことに徹する。
そして、それに対して、素直に意見を述べ、その根拠を明確にする。
そのような相互のコミュニケーションが留学をきっかけとして、
できればよろしいと思います。