日曜コラム ニュージーランドと日本
ニュージーランドをこれほど走ったことはかってありませんでした。
今週、月曜から金曜まで5日間で、北南島合わせて1300キロほど
走りました。山あり、谷あり、そして海岸もありました。
同行のお祖母さんは、ニュージーランドの広さに驚いたようで、
「人が歩いていないわねえ」と言い、生徒は羊を見飽きたようです。
日本であれば、50キロ制限の田舎道がここニュージーランドでは、
国道1号線であり、街を抜けると制限スピードは100キロです。
人口400万人を実感する旅でした。とにかく、人がいません。
これだけ人がいないと、いたるところで地平線が見えるのです。
眼前を遮る人工的な建物がほとんどありません。
アメリカの平たんな地平線とは違いますが、
小高い丘がずっと続いて、地平線となっています。
遠方に雪をかぶった山脈の山肌が、深い群青色に地平を覆っています。
「日本であれば、いつ頃の風景なのだろうか」と空想しました。
人口400万人といえば、江戸時代初期でしょうか。
江戸が100万人都市で、当時のロンドンをしのいでいたと言われますが、
その頃の日本はどれほどの人口がいたのでしょうか。
おそらく、農業立国であった当時の日本は、現ニュージーランドの羊と牛の
田舎の牧草風景が国土の多くの部分を占めるように、
どこにいっても川と田園がひろがる風景であったに違いありません。
地平線も日本で見られた時があったはずだと私は空想します。
さて、それからの日本は富国強兵策で国を富ませ、
欧米列強と伍すまでになり、軍が暴走し、大敗戦を経験し、
深く反省し、努力し、立ち上がり、工業立国となり、
多くのものを生産し、富める国となりました。
農業立国から工業立国と日本が変わる中で、農家の人々は、
制度に翻弄されたかもしれません。一方で、
ニュージーランドのファーマーはとても良い暮らしをしています。
地平線が見えるところに、大きな家を建て、60歳となれば
隠居して、悠々自適に過ごしています。
今度、ニュージーランドに来る時は、社会保障制度について
調べてみたいと思います。
日本の数百年前が今のニュージーランドというのは、
学術的にいえば、でたらめな理屈であることは解っています。
しかし、幸いにも私たちは、比較と選択ができる世界に住んでいます。
私は、その選択が10代でできることに大きな意味を見出します。
できることであれば、日本の10代の人すべてに
今の世界を見てもらいたい。
そして、感じてもらいたい。
満天の星空、地平線、人のいない海岸、
そして、これからの日本の舵切りを担ってもらいたい。
子どもたちが見る国がニュージーランドだけでは不十分
なことは百も承知です。だから、彼らは自立して、今度は
自分の力でアジア、アフリカ、ヨーロッパ、南極、どこでも
見て歩いてほしい。自分の知的好奇心を、みずから満たしてほしい。
次のニュージーランド訪問は再来週となります。