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留学物語-父は東大ぼくはニュージーランドその15 現地での友達

(その14 7月23日掲載)
ニュージーランドでの留学も余すところ半年あまり、急遽決まった日本の大学受験の準備や一時帰国などで忙しい日々を送っていたというところだが、実際のニュージーランドでの地方都市での生活はのんびりとしたものだった。
ぼくの学校に日本からやってくる留学生の数は多くはない。当然毎日顔を合わせることになるので親しくなる。日本の高校で仲良くなった友達はそれぞれが個性的で学校の価値観や教師に対して反発する奴だった。そして、留学先でも日本から来たぼくの友達は日本の学校に反発心を持っているような、はじけた奴が多かった。Rは地方の県立高校3年で学校をやめてここにやってきた。その高校は県下でトップ3に入る学校だそうだ。3年の中途でなぜ留学なのか尋ねると、「勉強に限界」を感じたとのことだった。もう「受験勉強はやってられない」そうだ。かれの親も大変だったに違いない。今となってみると、少しだけ、親の気持ちもわかるようになった。
Yはそもそも勉強には興味がないやつだった。スポーツなら何でもこなせる。日本の大学予備校化した高校にはまったく合わない。スポーツに青春をかけるということを親よりも教師が期待したらしい。しかし、彼は教師の期待など、意に解さなかったようだ。むしろ彼が燃えるのは渋谷とか新宿でたむろしている高校生たちとの対立抗争のようだった。そんなシティーボーイがどうしてニュージーランドに留学をしたのだろう。Yは多くを語らない。だから、ぼくはYが好きなのだ。RもYも日本に疲れてしまったのだと思う。二人とも結果として日本の大学に入学することになる。受験勉強を彼らは日本の高校生のようにはしなかったが大学に入った。
Rはニュージーランドの高校が好きだと言った。理由は、ボランティア活動や会社や団体の模擬的な一員となれるクラスが取れたことだという。ぼくは日本の高校については詳しくはない。少なくとも、ぼくが行った高校やRが3年生で辞めた高校にはそのようなクラスは皆無だった。Rはそのようなクラスで自分を見出したのではないだろうか。ただ試験に出るからという理由で暗記したり学んだりすることに疲れ、何故という質問にはあまり積極的に答えようとしない日本の学校と違い、Rは元気を取り戻したようだ。
生い立ちや環境が違ったRとYは水と油のように、絶対に混じり合わなかった。お互いにの性格や接し方、言葉使いなどの表面的なことが気に入らず、ぼくが入学した時に二人の間に、会話も交流がなかった。お互いの存在を無視して自分の好きなように生活をしていた。それまで人付き合いには困ったことがないぼくは、RとY、両方とも親しくなり、いつしか彼らの交流の潤滑剤の役を担った。ぼくたち3人に共通していること、それは自分たちがこれから目指したいことが少しづつ具体的になってゆく環境で納得のゆく生活をしているということだった。
つづく

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