塾とボーディングスクール その5
塾とボーディングスクールの可能性について、考えてきましたが、
その核心は今のままでよいのだろうかという、教育に対する
疑問です。
塾や予備校は受験のみを対象としてその結果を出すために生まれました。
その目的は明確で、そこにたどり着くための方法論で
フェアーな競争をしていると思います。
少しの成功に有頂天になり、教える側の努力が鈍れば、
受ける側はその怠慢を敏感に察知します。
そこで教える先生方は常に真剣勝負のようなもので、
生徒の支持があれば、その評価は正確に給与にも反映されるようです。
日本の明治維新の時にはすでに多くのボーディングスクールが
開校していました。その歴史は日本の私立・公立の教育機関よりも
古いものであるといって差し支えないと思います。
彼らは純粋独立経営です。政府や州からの補助金は頼りにできません。
その中で100年以上にわたり結果を出し続けてきた彼らの教育は、
とても評価されるべきですし、たくさん学ぶところがあると思います。
伝統や権威、名声といった観念にあぐらをかいていれば、
必ず滅びるということは、古今の歴史の示す事実ですから。
日本の現在の教育の原型は明治維新に始まると思います。
富国強兵の号令のもとに、欧米列強から日本を守り、
彼らに追い付くために、「官」主導で教育が生まれました。
それが、現代の東大法学部を頂点とする日本の教育
ヒエラルキーの原点であると思います。
今までの会社の価値観はバブル経済の崩壊で崩れ、
終身雇用、年功序列はおおよその会社が掲げないなかで、
大学序列だけが、明治時代と変わらないのは、
不思議なことであるかもしれません。
今、グローバル化に向けて使える英語教育に多くの企業が
積極的に取り組むようになりました。バブル期以前であれば、
会社丸抱えのMBA留学、大学院専門留学であったのでしょうが、
現在は費用も期間も超短縮され、英語マスターのみに焦点を
絞っているように見受けられます。
まず話せなければ、次に進めないという企業の危機感は、
今後、必ず大学へと伝播してくると思います。
しかし、それが高校まで降りてくるかどうは、疑問です。
塾のニーズが多様化され、細分化、個別化が進む中で、
中学、高校時代の教育ニーズのバリエーションが外国に
求められるのはとても自然ではないかと私は思います。
しかし、それが自然で当たり前であっても、それを決断する
ご家族や本人は、とても大きな勇気と決断力が求められると思います。
中等教育への単身での留学がどんな意味を持つのか、
私は自分のできる範囲ではありますが、毎日発信を続けてゆきます。