親が迷うとき
No news is good newsという英語圏の格言がありますが、
留学中のわが子からの連絡は時としてお母さんを迷わせ、悩ませ、考えさせます。
なぜそれほどまでに迷わなければならないのでしょうか、
私はわが子がもたらす情報の内容そのものよりも、
それを受けたお母さんが「納得ゆかない事由」により迷うのだと思います。
たとえば、「こんどの休みに帰国したい」という子どもからの発信が
あるとすると、それに対して、オーケーであれば、お母さんは悩みません。
芳しくない成績報告が学校から送られてきたとします。
「ここまでやれたんだ」と考え、納得すれば悩むことはありません。
わが子が留学を諦めて、帰国したいと言い出したとします、
「その後どうするつもり、もうあなた自身が決めないと
助けてあげられないわよ」と達観すれば、狐疑逡巡はありません。
もちろん、「そうはゆかない」のが実際の親子であると思います。
それゆえに留学が画期的であると考えられる一面として、今までになく、
親子が考え、悩み、迷ってお互いの持っている「世界」の時間的、
空間的に拡げるごとにあるのではないでしょうか。
今までの日本の日常では考えられないことの連続は、
留学している本人だけではなく、それを受け入れている親にも
当然のことながら起こっていると私は考えています。
私は自分の息子を高校3年間ニュージーランドに留学させました。
留学の理由は、自らのアメリカ留学体験2年間が自分にとって
かけがえのない経験であったからです。
留学して良かったこと、悩んだこと、苦しんだこと、すべてを総合して、
「良かった」という確信があるから、当然のことながら子どもにも
留学してほしかったのです。
息子は結局留学を決意しました。
その時、私は留学が失敗したらという想定もしました。
もしわが子が「日本に帰る」と言い出した時に何を言うか、
それだけは明確にしておこうと決めました。
―帰国という判断が絶対であるならば、親としてそれでも残れとは言わない。
よくよく考えてのことだろう。帰国という判断を尊重するがゆえに、
その後についての人生は自分で責任をもって考えなさい。働けということだ。
私はそのように自らの覚悟を決めました。
「失敗したら・・・」という話は、おそらく家内とはしたと思いますが、
息子とはしなかったと思います。
また、家内も私の「信念」を数回聞いたと思いますが、「やってみなければ、
わからないよ」とそのたびに言っていたと思います。
そうだと思います。この未来予測と、教育のグランドデザインは
全く別のことですから。
親の思いとは違う進学先を選択したわが子ですが、今は社会人として、
親と対等あるいはそれ以上に仕事はしています。
10代の子どもたちの思考は、とても柔軟だと思います。
しかし、最初から安定は望めません。
悩んだ時、迷った時、親子で「戻るところ」を共有する、あるいは
それを作ることで、双方の納得のゆく答えが導けると私は思っています。