留学初期 - 生徒の心境
異文化圏に1年を超える長期滞在、10代の子どもたちは
寄せては返す物理的、精神的苦難を幾度となく乗り越えなければいけません。
そこで求められる成功の要素や成功にいたる方法、
時には、成功とはという定義を私はブログを通じて、発信しているわけです。
子どもたちがいろいろな問題を私に直接、あるいは間接的に
提起すればするほど、私はこの仕事が好きになります。
その理由は、「無関心」という孤立感に大きく関係しています。
留学すれば、誰でも孤立する時期があります。
そこからの開放プロセスが私は好きなのです。
留学して1ヶ月ほどは、とにかくこころの視野が極端に狭いために、
また、言葉に大きなハンディがあるために、
彼らのこころの鏡には何も映らないのではないかと思います。
この第一次混沌期は理想が砕け、現実に落胆の連続もあれば、
「思っていたとおり」という生徒も明らかに存在します。
ネガティブでもポジティブでも共通しているのは、精神的視野の狭さく状態です。
無我夢中だから、周りが見えません。
1ヶ月あまり、生活が落ち着いてきても、相変わらず英語はわからない。
しかしながら、周りの人たちの日常が段々と見えてくる。
言葉はわからなくても、態度が読めてくるといった状況です。
余談かもしれませんが、新入生が入学後落ち込む時期に引っ掛けて、
五月病という精神的な落ち込み状態の表現があります。
本人も親も五月病だから仕方ないとこの時期、
黙ってやり過ごす人も多いと思います。
日本の高校生留学の主流だった交換留学(1年間)においては、
親子の連絡を厳禁した時代もありました。
アメリカのボーディングスクールでは、新入生が落ち込む時期(10月)に、
ペアレンツウィークエンドといって、親をあえて学校に呼び、
演劇、スポーツなどのお祭りをします。
落ち込むから家族で励まそうという考えと、
それは落ち込みと里心を増長するという考えがあります。
どちらが良いとは言えませんが、子どもたちの成長へのステッピングストーン
であることは間違えないと思います。
沈黙して、こころの深層の部分での痛みを分かち合い、言葉少なに
子どもに何かの発信をするのが、日本の古風な文化かもしれません。
余談でした。
言葉はわからないまま、周囲が見え出すと、それになじもうとする意識が
当然働くわけですが、もちろん自分の思ったとおり人は動きません。
授業も暗中模索、まだ宿題がわからないのではなく、
何が宿題なのかわからないなかで、先生に質問しようにも
どうしたら質問できるのかが留学生の課題となります。
つづく