これからの人材
日々の留学相談で感じること、それは親が持つ子供の将来への一抹の不安と、
子どもの教育現状に対する疑問です。
ゆえに、中等教育の選択肢を海外でということになるのですが、
たとえ、両親共に英語が堪能で、留学の経験があったとしても、
小・中・高校での留学となると「とんと見当がつかない」というのが、
現実かと思います。
私がコンサルティングをさせていただいているご家族は、
みな個性的ですが、教育に対する価値観はほぼ共通点が見られます。
それは、日本の受験システムに対する疑問、中等教育時代であっても、
親元を離れて、子どもが苦労することを厭わないということです。
東大を頂点とする大学ランキングの上位に入学することで、
将来が約束されるという考え方を選択しないということです。
では、海外で学習することと、日本で学習することは何がどのように
違うのでしょうか。そして、海外で学習することによってどのような
未来が拓けるのでしょうか。
アメリカでMBAを取得し、日本で独立企業されたお父さんとの話のおり、
彼はMBAそのものの学習内容よりも、現地での人間関係や日常に起こる
問題の解決など、生活体験や使える英語の力が役に立ったと言っていました。
自らの留学体験を顧みても、留学中に学んだギリシャ神話やアートヒストリーが、
日本の就職の際に直接役に立ったわけではなく、道具としての英語と、
学位をとった、やり遂げたという内面的自信が自分の財産だと思います。
ご夫婦でドクターをされているお母さんと話したときも、
ご自身の学歴には触れずに、出身大学に限らず、企業には使える人材と
そうでない人材がいることを強く意識されていました。
情報ネットワーク革命が起こる前は、知っていることの量が多ければ多いほど、
価値があったかもしれません。しかし、今も昔も社会に出てからは
その知識量で勝負が決まるわけでは決してありません。
問題解決の道を探り、結果を出すという主体的で地道な作業の連続が
会社であり社会であると思います。
自明なことがらですが、その完遂と知識量とは直接の関係を持ちません。
これからの人材に求められるのは、論理的思考と問題解決力ということで、
IBプログラムが注目され、小さなうちから論理性(ロジカルシンキング)、
多面的思考(クリティカルシンキング)、などを鍛え、
それを文章化するなどということを、まともに受け取り、
小学生に新聞の社説的な文章を読ませ、それを論評させるといった
教育が日本で行なわれていると、あるお母さんから聞いたことがあります。
それが楽しめ、楽しめなくてもできる子であれば、やらせたら良いと思います。
しかし、おそらく9割以上の子ができないでしょう。
それでも、そのポリシーを貫くのであれば、親が真剣に考え、
良い教育、実用の教育、子どもの将来を考えた教育を選択しないことには、
子どもそのものが危うくなります。
これからの人材に求められるもの、ひとことで言えば、
自然ですなおな人と私は思います。