特化するということ
インターネットの世界に精通する血気盛んな若者とゆっくり話す機会がありました。
彼はE-Conciergeのホームページを企画、デザイン、施工までを
引き受けてくれた20代の若きマスター・オブ・アートです。
アートを見たり、聞いたりすることへの関心が年とともに高くなる私ですが、
アーティストの精神を持つ、職人肌の人と話すことは、展覧会を見たり、
コンサートに行くのと同様に私にとってとても楽しいことです。
彼との語らいはお互い隙あればつっこむといった感があり、
意見の受け流しがありません。
彼は私の話を良く聞き、疑問、質問、意見をはっきりと言います。
このストレートさから社会性というのを削除すると、
岡本太郎になるのかなあと私は想像します。
彼はネット社会では、能動と付加価値が尊重される特化した情報の優位性が
評価されるといいます。
たとえば、ネット上では八百屋さんはだめで、枝豆屋さん。
魚屋さんではなくイカ屋さんといった具合です。
こちらから入力しないと何も出てこないネットの世界は、
「考える」、「発信する」と言う意味ではテレビと違って受身では成立しません。
作る側の論理としては、マーケットが何を望んでいるかということを
当然考えるわけですが、考えれば考えるほど「特化してゆく」と彼は言います。
しかし、彼が接するたいていの顧客は「特化」に躊躇するのだそうです。
「なぜ」に対する彼の答えは、「不安なんですよ」でした。
オンリーワン的な情報はネット上では高く認識されるのだそうですが、
今までになかったコンセプトのために、そこまでの決断ができない・・・。
この若き(20代)マスター・オブ・アートと知り合えて、
私は運が良かったと思っています。
ホームページという大切な自己表現の場を彼に任せたことにより、
私はたくさん新たな情報を知り、その考え方を日々の仕事にも役立てています。
私の特化を一言で言えば、ボーディングスクールへの留学です。
幸いにもボーディングスクールというのは、英語圏の国すべてにあります。
また、ヨーロッパにはインターナショナルスクールが
ボーディングスクールとしてあります。
世間一般にはボーディングスクールは知られていません。
それが私のホームページ作成時の不安でした。
しかし、素直になればなるほど、結局ボーディングスクールで学ぶということに
自分の意識が特化してしまうのです。
自然とその方向に話が向いてしまうのです。
その私の意識を理解して、ホームページを作成してくれたのが彼なのです。
20代半ばで、プライベートではオブジェなどを制作するアーティストでありながら、
ネット世界の論理的解釈と、ホームページ作成技術は彼の「特化」した能力だと
思います。
ニュージーランド留学についていえば、ホームステイのクオリティの良さです。
もちろん、ニュージーランドにもボーディングスクールがありますから、
ボーディングスクール留学も進めてゆきます。
それと共に、彼らの人間性、優しさなどが、私のなかでとても輝いています。
そして、私はひとのこころに特化してゆきたい、
「こころに特化はない、思考のすべてがこころだから」と言われるのは、
承知の上で、それでも私はこころのあり方を探し続けたいと思っています。