大学受験からの解放-その2
日本にある既存の大学受験システムを変えることは、
とても個人レベルで太刀打ちできるものではないと思います。
しかし、個人レベルでも視点を変えてみれば、そこに広がる世界は
まったく別のものになり得ると思います。
日本が100年以上かけて、考え、培ってきたシステムを切り捨てるのではなく、
世界に目を向ける。あるいは、社会の逼迫したニーズを再考してみる。
いずれの会社も組織も、規格内の人材に疑問を持つというよりも、
そこで出来上がった人間によせる期待は極めて薄いというのが、
「現実」の社会で起こっていることではないでしょうか。
どうして、初等・中等教育に携わる人々がそれをもっとリアルなこととして、
イメージできないのか ― を今、模索している時間はないように思えます。
付加価値の創造、プレゼンテーション能力、ディベート力、
ひいては個人の能力開発など、今、中等教育機関で注目されつつある
IBプログラムでは、それらを基本コンセプトとしてプログラムが
作られていると思いますが、それを日本の教育文化の中で開花させることが
どれだけ現場に意識と労力の負担を強要するかを考えると、
IBが日本に定着する時間も待ってはいられません。
だから私は「教育は世界で選ぶ」を提案しています。
大人がどんな理屈を展開し、実践に結び付くよう考案しても、
実行するのは10代の子どもたちです。
多くの学習負担を強いているのは、当然のことながら日本だけではありません。
国威をかけて、少なくとも英語圏の国々では、さまざまな初・中・高等教育で
子どもたちに学習力の向上のため、多くの教育的指導が実践されるに至っています。
留学がすべての教育問題を解決する特効薬にはなり得ません。
むしろ私はこれからの生き方の根本である自然治癒力こそを、
彼らの生きてゆく糧として、子どもたちに定着できたらと思っています。
「どのようにして?」
人の精神の偉大さを認識するプロセスを通じて、です。
精神の偉大さの原点にあるのが、「生命」です。
そして、この地球で人間のみが「生命の偉大さ」を認識できる能力を
持って生まれてきています。
それを、理解し、感謝し、さらに次世代に正しく繋げるために
私は今の職業を選択したのだと思っています。
生命の偉大さを認識するには、その環境を与えなくてはいけません。
日本は近代から現代にかけて、それを認識できた環境を歴史の中で、
与えられてきました。
一つは明治維新であり、もうひとつは第2次世界大戦敗戦です。
世界史上、ミラクルと言われた日本の成長と復興に妥協はなく、
一丸となりうる理念があり、貧しくともプライドがあり、優しさや、
人としての礼節や仁義という精神が満ちていた時代を
私たちは体験して、その精神の貯金をもって、世界の日本を作りました。
それをやってのけた私たちの前の世代の人々を私は偉大だと思っています。