自立してどうするの?
「自立、自立と言うけれど、自立してどうするの」と
ある帰国子女体験のある社会人女性から中高生留学について質問を受けました。
「自立」という言葉はとても広大な意味をもつものだと思います。
そして、その定義も個人の生きてきた経緯の中で、もちろん一定ではありません。
私は自立という言葉は便利ですが、
彼女の一言がつっと胸にひっかかっている状態でもありました。
経済的な自立、社会的な自立、そして精神的な自立がまず思い起こされます。
私が関わっているのはそのなかで、おもに精神的な自立です。
しかし、いずれの自立の場合でも共通していることは、
問題解決能力の発達あるいは、自主的な生活能力であると思います。
「お金がない」ではどうしたら解決できるか。
就職をするには、何が必要なのか、それをどのようにして身につけるか。
仕事はあるけれども、自分が関係している組織や人々との絆がうまく結べない。
それをどのように解決したら良いのか。
仕事も人間関係も大きな問題はないが、自分の生き方の納得が得られない。
そのこのままで良いのだろうかという精神的自立も問題。
これは中高生というよりも、年齢に関係なく人々が日々の生活で向き合っている
諸問題であると思います。
さて、それでは当初の彼女の質問に私はどう答えるべきかと思います。
まず、自立という言葉を単独で使うことを考え直さなければなりません。
「留学は子どもの自立を目指す」といった表現は、フレーズとしては、
すんなり受け入れられても、中身が大きすぎて、考えれば考えるほど、
内容が問題となります。
自立ということは、留学をきっかけとした場合、
本人と本人にかかわる人々にとって、
継続して考えてゆく大きな課題なのだと思います。
中高生留学は、高等教育機関への進学をもって一つの結果が出ます。
その時に、ほぼほとんどのお母さんから「子どもとともに成長した」という
コメントをもらいます。
お母さんが仕事をしていても、していなくても、意見は変わりません。
一人っ子であっても、兄弟姉妹がいても、このコメントは変わりません。
親にしてみれば、子どもという鏡に自分を映し、
そこに見える自分に改めて気づくわけです。
自分が知る由もなかった面がたくさん、遠隔地にいる子どもからもたらされる
ということもあると思います。
そして、親子で離れて暮らすことで、絆の大切さをあらためて知るわけです。
今までの学習に対するバックアップやサポートといった具体的な内容から、
「愛情表現」という漠然としていて、つかみどころのない感情が、
どれほど、子どもに影響するか、その結果が「子どもとともに成長しました」
なのだと思います。
親も子も納得のゆく人生を生きるために、
10代の留学が役に立つことを願っています。