これからの日本の教育 - 8子どもたちからのメッセージ
ニュージーランド南島の南方に人口2万人程度の小さな町があります。
この地域は気候に恵まれ、ドライな気候と長い日照時間を生かして、
ワイン作りが盛んです。そんな田舎町で学ぶ生徒から時々、
数行の短いメールが届きます。クライストチャーチからは300キロ以上は
離れているので、2月の地震の時は日本からの連絡のほうが早かったようです。
3月になり、今度は日本が地震に見舞われました。
そのあとの彼女からの短いメッセージです。
「先生や友達など多くの方が心配してくれて、なんだかすごく嬉しかったです」
私はこのメールを読んだとき、何かを感じました。ふわっとした気持ちのあとで、
「ちょっと待てよ」と自分に言い聞かせました。
今まで「教育」について読み、考え、教わってきましたが、
この一行のメールに何らか、メッセージを感じたのです。
メッセージとは「小さな感動」です。
当の本人にとっては自然に書いた、あたりまえの言葉であっても、
それぞれの生徒の背景を知っているがゆえに私にとっては、
この一言が大変嬉しいのです。
カルチャーショック、英語力不足、孤独感、焦燥感など
異文化のなかでの本人の努力度は、「成績表」では現れません。
しかし、この一言に私はとても安堵します。
「嬉しさ」にこころを動かされたこの生徒は、これからどのように「嬉しさ」を
具体的にしてゆくのだろうかと私は思います。
次の日にはこの嬉しさは日常のなかに消えてゆくかもしれません。
あるいは、この嬉しさを糧にこの生徒は、「留学してよかった」と
感じ、その感動をこころの原点にして「ひとりじゃない」、
「みんな応援してくれる、それは私の一所懸命さをみんなが知っているから、
大変なことがあっても、へこたれずに進める、私には『生きていく力』がある」
など、自分をひとまわりもふたまわりも成長させるかもしれません。
そして、私はきっと大丈夫、やれるよと自分に言います。
「日本が大変なことになっている」短いメッセージはそうも語りました。
不安になったでしょう。悩んだかもしれません。そして、
日本から幾多のメッセージが送られてきた。
迷い、思い、立ち止まり、そして歩き出す、
私はこの生徒の「嬉しさ」を他の人に伝えたいと思いました。
私は留学のコンサルタントですが、嬉しい気持ちで自分を動かしています。
嬉しくないときは嬉しさを探します。そして、小さくても「感動」をもらい、
それをエネルギーにして、「自分」に補給し、動いています。