これからの日本の教育 - 7子どもたちが主人公
生徒、親、先生がともに共有できることがはっきりすれば
「教育」は変わると私は思っています。留学というのは、
人間関係という視点で考えると、その条件を満たす可能性が
高いと私は思っています。
生徒を中心として学校を捉えることにその最大の効果があるのかもしれません。
留学の場合、海外の学校と親がたとえ直接にコミュニケーションが取れたとしても、
日本でのようにとは当然ゆきません。異文化での教育事情と学校の実際を
把握することにもおのずと限度があります。
PTAに参加したり、担当の先生や校長先生と話す機会もまれですし、
子どもの参加する行事にすら参加できないのが現実です。
それでも子どもたちは成長します。
「わが子は海の向こうでうまくやれているだろうか」と親なら誰も思います。
そして、「子どもを信じて任せるしかない」と納得する以外に方法がないのです。
今までなら子どもの将来設計図をイメージして、学習プランも、テスト対策も、
それぞれの分野の情報を集めて、親の経験と視点から分析し、
導入に至っては最新の注意をはかり、相手方に質問も注文もして、万全を期すことが
できたわけですが、留学ということになると、そのノウハウは
ほとんど機能しなくなります。
それでも子どもたちは音をあげず、それどころか現地の生活者となります。
今まで綿密に考え、細心の注意を払って、ひとつ一つ積み重ねてきたわが子の
「教育は何だったのか」と親は立ち止まり考え、そして私の知る限り、
すべてといっていい留学生の両親は、「子どもとともに学んだ」といいます。
「何を学んだのですか」と、私は時々やぼな質問をします。
「あの子のこと、知っているようで知らなかったんですよね」とは、
多くのお母さんの答えです。
「子どもに対して、すなおになれない私がわかったということでしょうか・・・」
それ以上の意識の共有、西洋でいうところのアガペーはないと思います。
子どもが本当にほしいもの、私はそれを「安心」だと思っています。
私は英語が好きだったという動機から留学コンサルタントになりました。
英語がなぜ好きになったのか、それは中学2年生の時の新任の英語の先生が
大変好きだったからです。なによりも、彼女の熱心さにとてつもなく惹かれました。
私のその時の安心は、「先生の熱意に応える」ことだったと思います。
たくさんの生徒をお世話し、そのご家族と接することができました。
その皆さんから日本の学校のことについて聞くにつけ、私は「留学」で得た知識を
日本の教育にも応用できないかと考えています。
まだまだその垣根は高いと思いますが、もちろん希望に向かってすすみます。
その希望とは、若者たちです。これからの日本、そしてグローバル世界を
担ってゆくのは、今の若い世代であり、彼らを主人公として、
可能な限り彼らのご家族、そして先生方となるべく多くの物事に関心を持ち、
問題解決のプロセスを共有したいと思っています。