これからの日本の教育 - 2英語教育に求められているもの
必要な時に使える、役に立つ英語をマスターすることを、
日本のほとんどの人が望んでいると思います。
しかし、現実にそこまで到達できる人は多いとはいえません。
「話せるだけでいいんです」、
「英語がもっと話せたら、世界がひろがると思うよ」など
使える英語のニーズは社会に出てから感じられるものかもしれません。
「必要に応じた英語力の基礎を作るのが中等教育の英語です」
と専門の先生が云われるのは承知の上で、申し上げますが、
私が接したほとんどの中学・高校生の英語力は基礎ができていませんでした。
彼らは英語を含めて学業成績が悪くはなく、留学する意欲もある生徒たちです。
決して、学校嫌いでも勉強から遠ざかっているわけでもありません。
彼らの傾向の特徴として、文型や語順、その他の文法知識はあるのです。
しかし、なぜそれらの知識が必要なのか、使える英語をマスターするうえで
どのように役に立つかなど、肝心なところがすっぽりと抜けているというのが、
私の正直な印象です。
一言で言えば、「試験に出るものは覚え、試験にでないものは覚えない」
ほんらい多様な使い道のある英語が導入からしばらくたつと、
暗記科目になり、多くの子どもたちが「しかたないから勉強する」という
意識をもってしまっているとすれば、
「これからの日本の社会的資本である子どもたちに対して、もったいない」
と私は切に思います。少なくとも
「英語は試験にでるから覚えるのではなく、
これから君たちに必要なコミュニケーションツールです」と言いたいのです。
ただし、大切なのは自分に合ったサイズの英語力を自主的に選択することです。
それぞれの人が、それぞれのゴールを達成するために、
英語を使いこなすのは親でも先生でもなく、「君自身」ですから。
留学はこのむと好まざるとにかかわらず、英語力が必須となります。
1年もすれば例外なく、基本生活に必要な英語は誰でもマスターします。
試験に出る英語とは関係なく、生きてゆくのに必要な英語は学べます。
現実には、それで目標達成ということで帰国する生徒はいません。
高校卒業を達成するためには、生活で使う英語だけでは不十分なのです。
試験に出るから学ぶのではなく、必要だから学ぶ、
だから「基礎をしっかりね」と私は生徒たちにしつこく言います。
基礎を忘れず、迷ったらむしろ、基礎に帰ってほしい。
そこに必ず君たちが求めている解答があると思います。
幸いにも私のお世話する生徒たちはほとんどが、英語の基礎を学ぶ年齢です。
彼らに生涯のコミュニケーションツールをマスターしてもらうため、
基礎の大切さをこれからも言い続けます。