クライストチャーチの地震
今日、私はクライストチャーチにいます。
市中心の東4キロあまりにあるLinwood Collegeを訪問中に、地震に遭いました。
学校施設の2階にいたのですが、真下からドカンと体を突き上げられ、
立っていられないほどの縦揺れと横揺れが10数秒続きました。
同行の現地世話人のケイさんと留学生担当のリンリーさんと
お互いに腕を取り合い体が倒れないように支えあって、
そこに居合わせた、日本からの留学生2名とともに、「get out here!」
外に出ると、余震が繰り返され、大地が震撼し、体が揺さぶられました。
大方の生徒たちは12時30分で帰途についていたので、
学内に大きな混乱はなかったのですが、
とにかく激しい揺れに学校に居残っていた生徒は
危険な室内を出て、すぐに帰宅の指示がされました。
灰色の水が駐車スペースの脇から流れてきて、
その水かさがどんどん増えてゆきます。
「液状化」がまたたくまに進み、泥灰色のどろっとした液体が
そこかしこから噴き出してきました。
「ツナミ」と誰かが叫んでいます。
もしかすると、ここで「死んでしまうかも」、
災害の恐怖を感じたのは生まれて初めてです。
ケイさんのワゴン車は泥土に埋まって動けません。
私たちはホテルのある市中心部より西の方角に
歩き始めました。時刻は1時30分くらいだったと思います。
途中、クライストチャーチを象徴する市中心部のカテドラル方面を
迂回しました。煙がその方角からあがっていたのを見たからです。
3-4キロも歩いたでしょうか。
アスファルトのひび割れ、液状化による泥土と泥水による浸水、
古い煉瓦作りの建物の倒壊など、
「これはひどい」と思いながら、ホテルを目指しました。
ホテルにつけば、食べ物と飲み物、そして寝るところは確保できると
思っていましたが、たどり着いてみると、
ホテルは倒壊の危険があるために立ち入り禁止となっていました。
幸いに雨はあがったものの、曇り空のクライストチャーチは真夏なのに寒く、
食べ物や飲み物そして、どこで雨風をしのいで眠れるのか、不安になりました。
停電、携帯不通、断水状態のなかで、急こしらえのバーベキューが用意され、
大きな肉の塊をパンにはさんで食べました。「おいしい」と思いました。
夕方9時ころに電気がつながりました。
ホテルが用意してくれた鉄筋建て新館の一室に
スタッフのみなさんと私、3名が泊まりました。
雨風がしのげ、マットレスでねることができることに感謝しました。
テレビをつけてみると、このホテルから車で5分とはかからない、
市の中心部の建物が倒壊し、65人の死者が確認され、
その数は増えると思われるといっています。
当初はエイボン川近くのホテルに泊まる予定でした。
もしそこに宿泊していれば、ハグレー公園で野宿を強いられていたと思います。
Linwood Collegeを訪問する時間がずれて、
もし市中心部に昼過ぎに戻っていればこのブログはかけなかったと思います。
生きているだけでありがたいと思いました。
私のフライトは土曜日ですが、崩壊したクライストチャーチで
何か私にできることはないだろうかと考えています。
日本から来て罹災した人達がいるかもしれません。