日曜コラム-悪妻は良妻
不思議ですが、悪妻に対応する悪夫という言葉は辞書に見当たりません。
良妻に対応する良夫という言葉も辞書にありません。
英語で悪妻を引くとbad wife、Xanthippe(クサンチッペ:ソクラテスの妻)
とあります。悪妻、恐妻家などが単語として語られる中で、
どうしてそれの夫バージョンがないのかと思います。
私は悪妻の研究には興味がありませんが、「悪妻」という語の定義とは
とふと考えてみました。
それに至った理由は、子どもにとってお母さんの役割は
父親のそれよりも広範で重要と思われるからです。
そのお母さんがもし夫によって「悪妻」というラベルを貼られたら、
子どもにもかなりの影響を及ぼすのではないかと思います。
私は家族の絆が留学では最も大切なものだと思っています。
子どもが異文化のなかで一つひとつ困難を克服し、
また苦労もするなかで、家族の応援が彼らの心の支えであり、
また、お母さんからのアドバイスが自然に身についた彼らの
価値観でもあると思えるからです。
「そんなことはありません。子どもは親の言うことなど聞きません」
という声が聞こえますが、私は言葉がすべてではないと思います。
こころのなかでは「逆らう」よりも「迷っている」と私は思います。
親が子どもにしてあげられることが具体的でないところが、
留学に秘められた家族の絆のもっとも重要な要素だと思います。
すべてはコミュニケーションの問題なのだと思います。
夫婦のなかで、夫が働き、妻が家庭を守ると信じられてきたことが、
近年激変しつつある中でその境界線が明確でなくなっていると私は思います。
それにともないお互いの役割分担が変化し、
指示体系が「家長」中心である必要もなくなっている。
一方でこころのケアーという問題が極めて重要になっています。
それがこころの時代といわれる所以であり、
その範囲が地球規模になりつつあるからグローバル時代であると思います。
夫が絶対でそれに従わない妻が悪妻などと言える時代では到底ありません。
しかし、こころの繋がりは夫婦一世代だけの関係
ではなく、夫婦の前の世代、そして子どもの世代、
さらにそれぞれの「家」にはそれなりの文化もあることでしょう。
既成の価値観を超越した、ストレートなコミュニケーションと
それを受け入れるこころが最も重要であると思います。
自分の思うところをめげずに言い続ける。
それがいかに大変なことであると同時に大切であると
家族の司令塔のお母さんが思えることは並大抵なことではないと思います。
しかし、そのコミュニケーションこそが、新たな家族の文化を
作り出すと思います。
家族に気を遣い自ら行動し、家族をカバーする良妻賢母であるよりも、
言いたいことを言い、議論を受け入れ、結論を導き、
家族の方針をまとめてゆくほうが、悪妻転じて良妻となると
私は信じています。