英語圏留学生事情-中高生の留学概歴2
90年代の半ばになるとニュージーランド、オーストラリア、カナダが
積極的に中高留学マーケットに進出しました。
中学生、高校生の留学と18歳以上の留学はマーケットの規模が
かなり違うにもかかわらず、州や国が海外からの留学生を
自国の教育機関へ受入れることを推し進めました。
アメリカが2次大戦後、その勢力が世界を席巻していたころに
作られた高校生交換留学プログラム(授業料、滞在費無料)と異なり、
3国とも公立の高校への留学であってもFull Fee Studentといって、
授業料は1年間で1万ドル前後であり、ホームステイも有料です。
余談ですが、
60-70年代、中学高校時代に留学するということは、
極めてごく一部の人たちに限られたことでした。
留学する手段もアメリカへの交換留学があるくらいで、
ボーディングスクールへの留学は、一般の人たちはまったく情報がありません。
この当時、中学・高校時代に留学できるということそのものが、
特例であり、留学できた人々は一所懸命に留学先で奮闘努力したと思います。
学力、精神力、社会性、親の資金力があってやっと1年間のアメリカでの
学習が許されるという時代であり、個人の枠を超えるような留学の重さを
背負ってまでも、行きたい、学びたいという精神は強靭だったのだと思います。
それを請け負うAFS(American Field Service)、YFU(Youth For Understanding)
という2つの大きな受け入れ団体が主催する交換留学に合格するということが、
英語力がありかつ優秀であるということの証でもあったと思います。
しかし、四半世紀の間にアメリカをはじめ世界の状況は一変しました。
共産圏の崩壊、情報通信革命、アジアの国々の台頭、そしてなどなど、
そしてアメリカにお願いしなくても英語圏での留学はこちらが
選択できる時代になりました。
一方日本では、便利さと豊かさと引き換えに、家族、学校、会社などの
あり方も一変し、教育もその影響を受けてか、大学入試だけに焦点が置かれて、
本来の教育の在り方の軸がぶれています。
本題に戻ります。
英語圏の国々で中学高校留学に進出した後発国は、国や州単位で盛んに
自国プログラムを世界に紹介し、営業し、生徒を獲得し始めました。
ニュージーランドなら500校あまり、カナダなら75余りの
地域の教育委員会が留学生の受け入れを可としています。
オーストラリアも同様に各州の教育委員会が留学生の受け入れに
積極的です。
私は公立学校への留学は受入れシステムよりも、誰が面倒をみるかというその
中心となる人が最重要と考えています。
いかにシステムを整えて、管理体制を万全としても、結局留学生は一人ひとり
個性のある人間であり、彼らを受け入れる家庭や学校、そしてお世話する人も
マニュアルどおりに行えないことが当たり前だからです。
これからの時代、日本が内向きに受験が激化すればするほど、
世界に対する抵抗力は減少せざるを得ないと思います。
創造性、発想力、コミュニケーション力、自己表現力、議論の力などの
価値観と力点がかなり違うからです。
グローバル時代であることの意味合いが、
中学高校レベルまで伝わってくるまでに
相当な時間がかかることは承知の上で、
私は留学を大きなチャンスと見る人たちに
本当の情報を伝え続けてゆきたいとこころから思っています。