英語圏留学生事情-増加するアジア留学生
70年代のオイルショックの時期に石油産油国からアメリカへの留学生が
激増しました。80年代になり日本がめざましい経済成長を遂げ、
多くの日本人留学生がアメリカに渡りました。
日本で留学を専門に扱う会社が興ったのも80年代の初めです。
日本の経済力がピークを迎えた87年頃、高校生の1年間交換留学生も
ピークを迎えアメリカ方面へ3000人以上の生徒が渡航しました。
その当時は卒業を目的とする中学高校留学はまれでしたが、
それでも主としてアメリカで高校を卒業しようと考える子どもたちを
私はたくさんお世話しました。
この頃にアメリカの中堅ボーディングスクールがESLクラスを整えて、
留学生の受け入れに積極的に取り組むようになります。
それまでももちろんボーディングスクールは留学生の受け入れを
行なっていましたが、あくまでもある程度の英語力があることが前提であり、
留学生も自力で英語を学ぶだけの意欲と努力をしていたと思います。
90年代になり、ESLという言葉が中等教育レベルの学校までにも
定着するようになりました。
それまでは、主に高等教育機関に学ぶための英語の専門学校として
機能していたものです。
また、多くの移民を受け入れているアメリカでは、英語の話せない移民のために
公の機関、たとえばアダルトスクールと呼ばれる公立の成人のための
学校などでもESLクラスがあり、英語の話せない人に開放されていました。
ボーディングスクールにおけるESLクラスは
90年代の半ばにほぼ確立したといえると思います。
ESLクラスおよびそのシステムは2種類に大別できます。
一つは補助的ESL、もう一つはESLコースです。
補助的なESLはあくまでもメーンストリーム(正課授業)を
支援するためのもので、ESLクラスそのものが独立して機能するものではありません。
それに対して、ESLコースはESL生物、ESL英語、ESLアメリカ史などの
クラスがあり、複数年にわたり在籍が可能です。
いずれの場合もなるべく現地の生徒たちと一緒に学ぶという配慮を
学校は欠かしません。
たとえば、体育、芸術、そして数学など、語学力がなくても
こなせるクラスでは初年度から留学生は積極的に参加することが求められます。
アメリカおよびカナダのボーディングスクール群がESLのための
インフラを整備して留学生を積極的に受け入れる体制を整え終わった頃、
オセアニアやカナダの公立中高も留学生マーケットに積極的に参加し始めます。
つづく