英語圏と日本の文化背景-叱ること1
ほめることの正反対が叱ることですが、私は双方ともに
極めて重要な基礎教育の要素であると思います。
この相対する意識には共通点があると思います。
それは、こころからということです。
そうでなと意味のない行為になってしまうどころか、相手を傷つけたり、
思わぬトラウマを作ることになります。
留学生のお世話にしても、自分の子どもに対しても私はほとんど叱りません。
自己の性格に起因するのかもしれませんが、
ほめることは自分の感情の任せるままに行えても、叱ることに関しては、
感情の赴くままというわけにはゆきません。
自己の例で恐縮ですが、学生時代に行った教育実習の際に生徒を
叱ったことがあります。理由は、自分の一所懸命さをある生徒が無視したからです。
無視するのであれば、授業を受けなくてもよい。GET OUTとまでは
言いませんでしたが、生徒の行為が私をいかに傷つけるかを明確に述べました。
幸いにも、聞き分けの良い生徒で、私の言葉に「納得」してくれました。
私は多少の感情的表現を含めて彼に相対しましたが、こころのなかでは、
ある程度のストーリーをイメージしていました。
すなわち、怒りの感情に支配されることはありませんでした。
叱る時、もっとも大切なことは、自分の感情を突出させないことだと思います。
相手は子どもですから、経験や知識に関してはこちらのほうが優勢です。
それがわかっている故に、相手のこころを察してあげたいと思います。
「勉強しない」、「テストの点が良くない」、「指示を守らない」という現象のみに
反応して、感情を突出さても、子どものこころは動かないと私は思います。
なぜならば、自分が彼らの立場であれば単なる叱りに対して、表面的には
それを受け入れても、こころでは「舌を出している」と思うからです。
留学生が明確なルール違反をした場合は、ボーディングスクールにおいても、
通いの学校(滞在はホームステイ)においても、罰則委員会が開かれて、
本人はそこで申し開きの場を与えられます。
先生が生徒を烈火のごとくに叱りとばすことは、ほとんどありません。
とかく、日常では自らの感情に支配されて、結果としての行為を
見つめてみるという作業を私たちは忙しさのなかで
忘れていることが多々あるのではないでしょうか。
私の経験から申し上げると、若い時にたくさん叱られた経験のある
お父さん、お母さんはわが子を思ったよりも叱らないのです。
「それは理想論であり現実ではないでしょう」と思われるかもしれませんが、
親子関係を知れば知るほど、子どもの行為に対して真っ向から叱らないのです。
つづく