ほめること-英語圏と日本の文化背景その2
個人がより尊重され、守られるようになると、当然のことながら、
集団の価値観との対立が生じます。
問題は世の中が個性尊重の方向に動くなかで、
組織のまとまりが徐々に欠けてくることにあると思います。
極端に言えば、我儘が許されてしまうということです。
組織のルールを遵守させようとしても、「なぜ」という質問が出る。
説明に慣れていない旧価値観を持つ人々はそれを受け入れようとしない。
このような価値観変化は社会が裕福になったとき、どの国においても
起こりうることであると私は思います。
余談ですが、私は剣道を通じて、警察、消防署、自衛隊、
社会人などのたくさんの先生方に接しました。
わが子と一緒に剣道を学び、その後も武道の精神が好きなのと、
自分にちょうどよい健康維持のエクササイズになるため続けています。
日本の武道、芸事、芸術はとにかく減点方式指導です。
剣道に関していえば、この減点方式指導はまだまだ健在です。
悪いところを指摘して、修正するというやり方です。
ふと気がつくと、自分自身も子どもたちに稽古をつけるとき、
「ほめていないなぁ」と感じます。自分が指導されたその要領が体に染み付いて、
「ほめる」という行為がうまく想像できないのです。
「ほめたら先生の権威が損なわれる」とか、「ほめたら子どもたちを甘やかす」
といった旧価値観の世界からぬけていません。
これでは子どもたちや若い人たちが楽しく剣道はできないでしょう。
「剣道は楽しむものではない。剣を通じて自己を練磨し、
しいては日本と世界の平和に寄与するものである」と旧価値観の人は言うでしょう。
私は、剣道を愛するようにそれを行なう子どもたちも愛したいと思います。
そして、剣道を愛せば愛するほど楽しさが沸いてくる。
楽しさがわいてきたときに初めて、「勝ちたい」という欲がでる。
その次の段階で自己練磨があり、頂点に社会貢献があると思います。
これから、子どもたちと一緒に楽しく剣道の稽古をしてゆきたいと思います。
新旧価値観のどちらが正しいかという問題ではなく、どちらが現実の状況に
適応できるかということを私は重視してゆきたいのです。
戦後の混沌期には社会全体がほめていられない状況があったと思います。
高度成長期には集団力を最大限に発揮するために、個性は後回しにされました。
しかし、情報革命を経て、世界の様相が一変しました。
昔のように子どもたちを教育はできないのではないでしょうか。
分野によっては、先生よりも子どもたちのほうがよく知っていたり、
専門家である可能性が十分に初等、中等教育で考えられます。
個性尊重を教育として貫くためには、今のシステムでは無理です。
それでも個性尊重を実行すれば、無理なシステムの中で忠実にそれを
実行しようとしている先生方にとてつもない負担がかかるでしょう。
その中で、たくさんの先生が子どもたちを
愛するがゆえに黙々と仕事をしています。
先生方も個性を大切にするその恩恵を受けないことには、
受ける側にもその魅力が伝わらないと思います。
ほめることを中心に教育を組み立てることを私は個人として実践しています。
コンサルタントだから個別に生徒たちと接することができます。
私の接する子どもたちはみな良い子です。
子どもたちの人格を「悪い」と断定できるほど、神的立場にはありません。
私は恒に子どもたちのよいところを探す努力をします。
それを引っ張ってあげることで、異文化の中での苦労に耐える精神を
身につけてもらいたいからです。