「知」は海を渡って来る-その2
前日のブログで私たちは外からの知識を取り入れ活用することで、
現在の繁栄を手にすることができたと私は述べました。
稲作、宗教、政治と思想、大量生産技術、科学技術などをうまく自国の文化と
混ぜ合わせて、それぞれを生かしきるその精神は世界有数であると思います。
問題は「これから」であると思います。
バブル崩壊後、中国、韓国、インド、ベトナムなどアジアの国々が
日本が得意とした市場に参入して、電化製品など日本は
あっという間に追い越されてしまいました。
その背景にそれぞれの国の「教育」があることは間違えありません。
バブルが崩壊して20年以上たちました。
私たちの生活を支える企業は合理化を進め、新たなマネジメントを
取り入れるなどして、自らを変革することで、未来に希望をつなげています。
しかし、私はその社会最前線の生きた教訓が高等教育の現場でさえも、
明確に反映されているとは思えないのです。
余談的たとえで恐縮ですが、幕末に似た状況であると思います。
バブルの崩壊は徳川幕藩体制の疲弊に伴う経済の崩壊。
そこに外国列強からの日本への干渉、これは日本経済に対する、
アジア諸国の強烈なプレッシャー。
幕末の志士たちは、第一に「これからの日本をどうするか」と考えました。
「このようにしたい」という明確な青写真を持っている人たちが、
日本を変えてゆきました。
そして、本来なら内乱が起きて、新と旧で戦いになるところが、
強烈なリーダーシップと日本の未来に対する明確な意思を持った人物の出現で、
私たちは争うことなく、この国のシステムを「リセット」しました。
無血の新旧交代は世界史上でも決して多く起こったことではないと思います。
「教育」の世代交代が自主的に進められないと、企業の現場のグローバル社会への
対応と研究が高等、中等、初等に教育に反映するまでには
とてつもない時間がかかると私は思います。
それでは明らかに遅いと私は切実に思います。
つづく