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基礎教育について4:平等の精神

すべては子どものためと考え、親はわが子に教育の道筋を考えます。
教育は「胎教」なども含めると母さんがわが子を胎内に授かった時から、
始まっているといえるとおもいます。
余談ですが、胎教の心得のある先生から聞いたのですが、
その人は妊婦を見ると、これから生まれてくる命に限りない愛情を
感じるのだそうです。そして、おなかの大きなお母さんもとてもいとおしく
思うそうです。
この方はご主人を病気で失いながらも、わが子2人を留学させた、
確固たる教育精神の持ち主ですが、
この先生の無条件ともいえる愛(アガペー)が基礎教育の根本です。
元気で生まれてほしい、育ってほしい、その子どもを見守り、たくましく
育ててほしいと願う先生の感情に一点のかげりも見えません。
指導を受ける側もとても安心して自然体でいられる。
ゆえに、お母さんたちはこの先生のいうことを聞くわけです。
先生も間違った指導は絶対しません。
この先生の胎教でどれだけお母さんがより幸せな状態で出産に望むことでしょう。
教育の根本は信頼です。信頼の絆が見えるようです。
さて、本題の基礎教育における平等ということですが、この精神は「なぜ」を
追求するこころのあり方が平等ということです。
教育は本来、権威や力によって曲げられるものではありません。
真実を追究するその精神が何らかの圧力によって、
ねじ曲がってしまうことは許されてはいけないと思います。
この権威と受け手の構造は親子の間にも当てはまると私は考えます。
子どもが「なぜ」を連発するときこそ絶好のチャンスとばかり、
お母さんがその解答を追及する。
子どもは安心と信頼と尊敬の念をお母さんに感じる。
「そういうものなの」などと子どもに諦めさせてしまえば、
すなおな子どもたちは「そういうものなんだ」となぜを発する気持ちを
抑制してしまいます。
とことん調べ、納得して導き出された答えと、親の都合で導き出された答えとを
子どもたちはその直感力で見抜いたり、感じたりするのだと思います。
この直感力も結局は彼らが授かっている人間としての「生きる力」
ではないでしょうか。
子育てだけではないお母さんの日々のスケジュールやこころの状態を
考慮すると私の基礎教育は「仮説」かもしれません。
しかし、日々私が接する子どもたちを見ていると、
それが仮説ではなく、彼らの基礎教育習得程度は、極めて厳密に
彼らの過去を私に髣髴させるのです。
そして、基礎教育ができていればいるほど、私自身が安心して彼らと
接することができるのです。
私はたとえ子どもたちであれ、英語を教える時や留学情報を提供するときは
なるべく平等であることをこころがけています。
知らないことを知ろうと追究するこころに妥協があってはいけません。
それに答える気持ちにうそがあってはいけません。
なるべくフェアーに自信を持って答えたいとおもうので、
彼らとこころの平等を意識したいと思っています。
いわんや、お母さん、お父さんと話す時はなおさらです。
良識を共有するこころに年の差は関係なく、
私は皆さんと対等でありたいと思っています。
つづく

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