小・中・高校留学-生徒にとっての一大事3
前日のブログの続きです。本人にとっての一大事を受け止め、
学校と交渉に入る前に、その真意と「教育」的見地を
まず、私がはっきりと示さないといけません。
この作業を実行するときに、私は正直、誠実、共感を旨とします。
そして、2つの立場をシュミレーションします。
一つは親の立場、もうひとつは本人の立場です。
親の立場には簡単に立てますが、
本人の立場というほうが私には難しい場合がほとんどです。
大人として考えれば、些細な事柄でも、
「我慢しなさい」、「それはだめだ」ということに対して、
理由を考えて、明示しないことには、双方の「納得」は生まれません。
私はホームページのなかで、「納得する留学」を標榜しており、
それは私の信念です。それを曲げるわけにはゆきません。
親の納得は得られても、本人がそうでなければ、ものごとは動きません。
そこで私は、過去の様々な事例や自分の経験を引き出して、
解決のためのベストを考えるわけです。
転校、ホストチェンジ、ルームメイト変更、クラス変更、
成績不振解消、などで大切なことは、私が納得したとしても、
動くのは学校ということです。
学校に言うことそのもののリスク、結果が必ずしも問題解決に
ならないというリスク、本人の主張の正当性、
本人の「叫び」に対する検証は事実と感情、教育倫理、
かかわる人との人間関係など、私と本人との関係だけではありません。
それを、コーディネートするのが、コンサルティングという仕事の
本質なのだと私は思います。
自分の留学時代とはずいぶんと変わったなと感じます。
10代とはいえ、彼らの権利とニーズは格段に増大したと思います。
「個性の尊重」ということへの個人差が広がるなかで、
個別対応が当たり前となりました。
世界の教育が目指している「人格の完成」という目的への道は、
平坦ではなく、かつ厳しく、険しいものなのだと再認識します。
子どもたちは学校の規則をおかしているわけではありません。
ただ、自らの希望を彼らの理屈に従って「主張」しているだけなのです。
問題の原点は彼らの社会観や倫理観にあります。
そのような精神の問題をじっくり腰をすえて、考え、討論する機会は
今の日本の教育現場では、持ちたくても持つ時間的余裕がありません。
ゆえに、子どもの精神的耐性が時代の豊かさと逆行して
弱くなっているのではないかと私は仮説的解釈をしています。
目的は子どもたちの人格の完成です。
彼らは、彼らなりに必死で異文化の中で生きようとしている。
自分の立場を探そうとしている。
自分自身もそうでしたし、失敗もたくさんしました。
そして、そこから学びました。
子どもたちに、リスクを引き受けさせ、それでも十分に耐えて行ける。
耐えるということは、その対極にあるチャレンジする精神を
増大させることだと私は思います。
そのプロセスのなかで、彼らは大人として成熟してゆくと思いたい。
私はあらん限りの知恵を絞って、彼らと正面から対峙し、精神の重さを
共有したいと思っています。