小・中・高校留学-グローバル教育の視点4:扁鵲が長兄
教育という分野で私たちは親の立場で選択を迫られています。
子どもたちの学術習得技術を向上させるか、
子どもたちのこころ、すなわち精神力を向上させるか、
当然ながら、知識とこころは車の両輪であり、
一つかければ、機能しないはずなのです。
現実の教育は極端なアンバランス状態にあると私は思います。
扁鵲(へんじゃく)という古代中国最大の名医のエピソードを
紹介させてください。「扁鵲が(の)長兄」として知られています。
魏の文公と彼との対話です。
文公:お前たち兄弟三人の中で、一番医術に優れているのはだれか
扁鵲:長兄です。その次が次兄で、私が一番下手です
文公:そのわけは
扁鵲:長兄は人を診察する場合、病気がはっきりした形を
とる前に治してしまいます。
ですから長兄の名前はその家の者しか知りません。
次兄は、患者の容体が軽いうちに治してしまいます。そこで次兄の名は、
村里の者しか知りません。
私ときましたら、血脈に鍼を刺し薬を投与し、肉をほふり、病を治します。
私の名は遠く諸侯に聞こえています.
扁鵲先生は確かに歴史的名医に違いありません。
彼の見立て、技術、処方は確かで、結果も明確であり、その業績は華々しい。
しかし、扁鵲先生が言いたいことは、病気はなおせても、
患者の意識の根本の治すことはできない。
その点、兄にはかなわないということではないでしょうか。
知識習得は数値化でき、結果をすぐに見ることができます。
対処として即効性があり、わが子の将来を憂う親には大変説得力があります。
こんなカリキュラムで、このような先生に教われば、効きますとなれば、
「ではさっそく」と考えるのが親心です。
もし「扁鵲が長兄」が成績不振の子どもを見立てれば、
「なぜ勉強が嫌いか」と聞くでしょう。
「なぜあんたは勉強が好きか」と子どもは反論する。
長兄:勉強を好きな子どもにあったことはない
子ども:いや、あなたのことを聞いている
長兄:私は好きなことのために、勉強している、
勉強そのものに価値があるわけではない
子ども:では、あなたは何が好きか
長兄:私は人間がすきなのだ
子ども:なぜ、人間が好きなのだ
長兄:お前は人間が嫌いか
子ども:好きな人もいるし、嫌いな人もいる
長兄:私もそうだよ、しかし、私は医者だ。人の命をもっとも大切だと
思っている。それにくらべたら、自分の好き嫌いなど大したことではない。
子ども:私には大したことだ
長兄:あたりまえだ。おまえはまだ子どもだからな。
子ども:では、あなたはどうしろと言うのだ
長兄:自分を大切にしなさい。勉強はその結果、できるようにもなろう
子ども:なにそれ、いみふめい
長兄:私がお前に勉強を教えるのは簡単だ。しかし、私お前の人生の
伴侶とはなりえないのだよ。だから、自分で生きる方法を探してほしい。
そのための見立てだ。生きる基本は一人で生きられないことを理解することだよ。
子ども:でも、私の周りのひとは私を理解してくれない
長兄:そうだろうね。だから、君は勉強ができない
子ども:私のせいじゃない
長兄:だから、君はいよいよ勉強がいやになる
子ども:どうしたらいい
長兄:君は生きている。尊いことだ。だから、尊い自分を見つめてほしい
かならず、好きなこと、やりたいことがあるはずだ。それを探してほしい。探せたら、また来なさい。
さて、子どもは長兄のもとにやってくるでしょうか。
それとも、扁鵲先生のところに行き、点数アップのための
具体的処方、施術を望むでしょうか。
これは、子どもだけでは解決できない家族全体の問題だと思います。