小・中・高校留学-グローバル教育の視点
日本の教育基本法にある教育の目的を以下に掲げます。
「教育は人格の完成をめざし、平和的国家および社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の形成を目指して行なわなければならない。」
グローバル時代の教育に十分に対応する内容であると私は思います。
冒頭の「人格の完成」に続く文は人格の完成の結果となる事柄が
述べられています。
いずれの国の教育者もこの理念に、異論を述べる余地はないと思います。
この根本原理がなければ、今後、人類が地球で繁栄することはない、
私はそのように思います。
人格の完成のために、最も大切なものは、人のこころであると、
私は思います。では、こころとは何でしょうか。
それは、生きるエネルギーの原点にある精神であると思います。
それを構成している意識はすべて、私たちが幸せに暮らせることを
めざしていると思います。
感謝、感動、共感、尊敬、敬意、謙虚といったまず人として
当たり前ともいえる共存のための意識が土台にあって、
始めて人々は教育によって獲得した知識を英知として活用
することが許されるのではないでしょうか。
現実に目を向けてみると、教育の大切さを認識しながら、
世界のいずれの国でも現代社会が持つ問題は共通しています。
ひとことでいえば、「人格の完成」の極端な欠如による、
こころない人々の自分勝手なふるまいがもたらす社会のゆがみです。
グローバルで考えると、こころない人々が、組織、地域、そして
国家にいたってしまう可能性もゼロとはいえません。
人類がよかれと思って好奇心に任せて、開発した知恵が
増えれば増えるほど、自然に対する人工の力も膨大になり、
その「力」がもし間違って使われれば、大変なことになることは、
子どもでも理解できる時代です。
こころが大切-誰でも賛成してくれると思います。
しかし、いつどこでだれがどのようにして未来を引き継ぐ子どもたちに
このこころの大切さを「教育」として教えるのでしょうか。
グローバルな時代だからこそ、こころの教育は子どもたちが
生まれたときから始まると思います。
能力の伸びも、正しいこころのガイドがあってはじめて、
その力を「社会」のなかで生かされると思います。
それを教えるのは、基本的には親の専権事項です。
親はわが子をどんな環境で、どのような人に子どもたちの
教育を預けるか真剣に考えていると思います。
公立でも私立でも、教えてくれる人を尊敬し、感謝の気持ちを持って、
わが子の教育をお願いしていると思います。
そして本人の精神的自立や、自我の目覚めに連動して、
基礎教育から応用教育へと親子の教育選択が始まります。
つづく