小・中・高校留学-知識のグローバル化
グローバル化という概念の一つに「フラット化」が含まれると思います。
フラットというのは、平らとかもとの状態という意味ですが、
それから転じて、世界全体が「フラット」になるすなわち、情報、流通、移動
などの国家間や地域間の障害(バリアー)が取り払われる
ということなのだと思います。
すでに知識もフラット化していると思います。
現代は求めればだれでもリアルタイムに、
自由に知識を入手できるようになりました。
ユニバーサルランゲージ化した英語ができれば、
インターネットを通じて、さらに膨大な知識を得ることができます。
近い将来、翻訳ソフトが進歩して、英語ができなくても、
知識が誰でも自由に入手できるようになると思います。
前世紀と比べると、情報のフラット化は飛躍的に進歩しました。
その影響を初等、中等教育にどのように反映させるか、
教育の専門家の皆さんは真剣に模索していると思います。
そして、子どもたちの社会では、大人たちが考える以上に
情報のフラット化は進んでいるのではないでしょうか。
いわば、初等、中等教育社会の水面下では、変革が好むと好まざるとに
かかわらず、自然発生的に準備されつつあるのかもしれません。
彼らの鋭い感覚は、大人たちに対して、「なぜ」を連発します。
フラット化以前の時代は、権威の傘下「問答無用」が成り立ったかもしれませんが、
現代は権威が柔軟になり、従わないという選択肢が存在しています。
フラット化時代のキーワードは自己選択、自己責任にあると思います。
なぜ勉強するのかという子どもたちの問いに、明確な答えを
与えることが教育にとって必要なのではないでしょうか。
「やればできる」、「君には能力がある」と叱咤激励しても、
「やってどうするの」、「能力は何のために使うの」と切り返したくなるのが、
子どものロジックであると思います。
10代の子どもたちと日々接し、彼らと親しくなればなるほど、
もたらされる彼らの世界の現実に私のこころのなかで、
教育の国境線がだんだん取り払われてゆきます。
おおよそ、彼らはかしこく、巧妙であり、わがままです。
日本だけでなく、英語圏の国々でも、彼らは先生を出し抜いて、
遊ぶ方法を生み出すことに歓喜し、
楽をして成績を上げる知恵を集団で考えます。
そのようなしたたかさや団結力に国境などないとしみじみ思います。
私は彼らに人間に備わっている野性的「生きる力」を
どうにかして社会に役に立つ方向に持ってゆく努力をしたいと思っています。
このままでは、あまりにも彼らの学習がもったいないと思います。
留学コンサルタントがゆえに知り得た子どもたちの「教育観」を
あるべき方向に強制することは、極めて難しいと私は思っています。
それよりも、彼らを認め、ほめて、愛することで、
初めて、彼らは「本音」を口にし、さらに悩みを吐露します。
私は10代の子どもたちの知識のフラット化を考え続けますが、
その根本に『信頼』を置きたいと思っています。