小・中・高校留学-家族のグローバル化
「わが子が留学すると家族が変わる」とは留学生の親の実感です。
今まで私は「家族」という最小の社会単位に、
教育コンサルタントとして、注目してきました。
家族の絆、親子の蹉跌、より大きな社会とのかかわりなどを、
ブログを通じて皆さんにお伝えしてきました。
ブログのねたを語っていただけるお母さんやお父さんに感謝しています。
そして、皆さんからいただくメール、電話のなかにも、
ハッとさせられる情報を見出すことがたくさんあります。
その時の私の心境は、金鉱を掘り当てた鉱夫のようです。
偶然ではなく、意識して、考えて、求めて、願って、思うところに、
訪れる言霊にあたった時のメモ用紙を開く瞬間がたまりません。
家族が「グローバル化」するとは、あるお母さんからのメールです。
素晴らしいねたをいただいたと私は思います。
なぜならば、私がいままで家族というテーマで考えていたことの要点を、
ひとことで表現してくれたからです。
グローバルな話題、グローバルな視野、グローバルな行動など、
家族で考えられたら、その子どもたちはどれだけ幸せでしょうか。
本やマスコミからの情報ではなく、自らのローカルな心がグローバルを
目指すことが、私の求めていた「留学」という手段を
最も活用することに結びつきそうです。
子どもの年齢にかかわらず、わが子が海外に行く。
そこからもたらされる情報は、もちろん良いことばかりではありません。
だから、「留学をあきらめてしまう」留学生も、家族も私は知りません。
幸いにも30年間、出会ったことがない。
私が一貫して考え続け、言い続けているのは、(年連に関係なく)
子どもたちの生きる力の発見とその活用です。
それを知り得た感動が自分の自信となり、励みとなり、元気となり、
「やるぞ」という気にさせる原動力です。
話題がグローバルであるとまず親が意識することで、
それを毎日受け取る子どもは必ず変わると思います。本人渡航前、
「なんか、あまり留学、乗り気じゃないんです。
留学が決まったのに勉強やろうともしないし」
という声が聞こえてきそうです。
私は、グローバル化というのはそこから始まると思っています。
ローカルがグローバルに移行するまでの過程は、平坦ではありません。
そして、グローバルの本質というのは、
相手を理解することから始まると私は信じています。
いつも知っていると思っているその気持ちを原点にもどすと、
見えてくることもたくさんあると思います。
理解のキャパシティー(容量)こそが、異文化を尊重する器量の大きさであり、
その後には、自らの発信が続くのではないでしょうか。
そこに「共感」が生まれれば、家族のグローバル化の第一ステップ、
精神の共有という土台が生まれると思います。
土台がないのに、方法論としての留学を語っても、
子どもたちは動かないと思います。
それは、精神は損得感情で動き、損得勘定ではないからだと思います。