中学・高校留学 留学初期のトラブル ホームステイ編
年齢に関係なく、留学当初の1か月あまりは、環境変化に誰でも苦しみます。
その辛さから、どうしても否定的、批判的な方向に向き、自分の正しさを
自分自身が納得し、それを表現しようと努力しますが、残念ながら、
英語ができないというはがゆさの中で、生徒たちは迷います。
私は生徒の意見を十分に聞き、具体的な解決策を学校や担当者に提案しますが、
そのプロセスは簡単にはゆきません。寛容、忍耐、努力などが相互に求められ、
中間に立つ立場の人たちは一応に生徒からの切実な「叫び」に心を痛めます。
そんな時、私は子どもたちの将来をイメージします。
そして、人生のステッピングストーンとしての試練を彼らとなるべく共有し、
お互いの文化を決して攻撃しないように、人として尊重するように心がけます。
「北風と太陽」の話を今まで何度となく、自分に言い聞かせ、
主人公の生きる力を信じて、不足している物理的能力である英語力を
カバーするようにします。
絶対に「留学」というチャンスに感謝できるようにする。
10代にして留学できたというこの現実に感謝せずに、問題解決はありえません。
本人の矢継ぎ早の生活上の不備情報は堰を切らず、精神的カルチャーショックに
戸惑うことがないほうが、むしろ不自然と言えるかもしれません。
しかし、私の経験則は、「まず子どもの話を聞くこと」、
「解決策をかれらに示すこと」、「そのためのアクションを早くすること」に
集約され、それを行えば、必ず道は開けるという確信を持ち、
その自分の軸を決して変えません。
自分に信念がないと、結局人の意見に振り回されしまうからです。
10代だからこそ、彼らの切実な訴えに彼らの世界の中での真実があります。
些細なことではなく、彼らにとっては重大な生活の危機という実感を
彼らと共有するとき、彼らはまず落ち着きます。
即、問題解決にはならなくても、彼らの自己主張を認める相手が見いだせるからです。
加えて、私はこのような状況のときには「お説教」はしません。
お説教的浪花節は、それを受け入れるこころが相手にあるときのみ有効な、
こちら側の精神のカタリシスであるからです。
彼らに我儘があることは、百も承知しています。
それを受入れ側が指摘することも、当然と思っています。
私はだから「教育」ということがとてつもなく重要であり、その精神は
世界に共通すると信じたい。
教育とは、受ける側の良い面を徹底的に探し出し、
それを伸ばしてあげることで、自分の欠点に気づかせ、それを是正することであり、
決して知識の詰め込みではないと思っています。
「知識の詰め込み」は教育に必要不可欠なことは解っています。
しかし、基礎精神が確立しない中で、一方的にそれを行うことは、
大変なリスクが伴うことであり、私はなるべくリスクのない教育を考えたいのです。
年齢に関係なく、人格を尊重し、素直であってほしい-これは教える側が
思えば思うほど、教えられる側が望んでいることなのだと私は痛感します。