小・中・高校留学-グローバル時代の教育:教育に優劣はない
異文化に接すれば接するほど、人はその違いの「なぜ」を
理解しようと努力するように思えます。
そうすることが、結局相互に得をするからです。
肌の色が違っても、宗教が違っても、「人」として幸福を
追求することは、変わりありません。
そして、世界の「教育」はすべて人を幸せにするための
手段であると私は思います。
日本および英語圏の学校を自分の目で見て、人々と話し、そして感じることは、
「教育者」と呼ばれる人たちのこころざしが世界共通であるということです。
彼らはすべからく教えることが好きな人たちです。
そして、学ぶことでその国が、そして世界が良くなると
信じている人たちです。
「そうとばかりは言えない」という意見もあると思います。
確かに、その通りであれば、世界は平和であり、地球の寿命を
今私たちが必死で考える必要もないと思います。
「教育に優劣はない」ということについて、
「ある」という方も私は否定しません。
問題は教育の優劣のスタンダードを議論することではなく、
受ける側にどれだけのメリットをもたらすかということであると、
私は確信します。
教育者は受ける側の最大の「メリット」を政界平和や
地球の存続に置いていると考えている-私はそのように信じています。
教える側も教えられる側も満足できる教育があれば、どれだけ素晴らしいでしょう。
お互いに満足し、お互いに同じものを求めてゆけば、
教える側が「えばる」必要もなく、教えられる側も「不満」である必要もない。
その環境を求めて、親は真剣に考えています。
私立校、一貫校、インターナショナルスクール、IB教育のある学校、公立校、
塾、留学など、あふれかえる情報の中から、子どもの教育のベストを
探すことは決して、決して簡単ではありません。
情報は精度が問題であり、人からの情報もどれだけ
「我家」に当てはまるかが、問題です。
選択を海外にまで広げると、国単位の教育の質と量を考えないといけない、
となればさらに情報精度が問題とならざる得ないでしょう。
私は30年ほどこの仕事をしていますが、自分の学校の問題点を
明確にしたパンフレットを日本を含め世界中で見たことがありません。
ほとんどの学校が、「良いところ」言葉を換えれば、「売れる」ところを
取り上げており、結果的にどこも「同じよう」な内容になっている気がします。
設備の違いは明確ですが、結局はどんなコンピュータ室も、
体育設備も、芸術設備も人に使われてこそのものだと思います。
教育に優劣はない、私はグローバルな時代では、
そのように考えざるを得ないと思います。
小学校に英語教育が導入され、国際科が多くの学校に設置されました。
「グローバルな時代ですから」
しかし、私が接する生徒や親はその流れを良しとしてない人がたくさんいます。
外国人の先生の一人授業、海外研修は結局楽しかったでピリオド。
私はグローバル人に必要な要素は何かと聞かれれば、まずはじめに
生きてゆく力のある人と答えます。
では生きてゆく力とはと聞かれれば、
苦労した人(相手の気持ちがわかるから)
品のある人(文化に優劣はないと理解できる人)
と答えます。
「英語力は」という質問には、必ずしも必要ではありませんと答えます。
必要な時がくれば、「道具」は身につけるものですから。その理由はたとえば、
有能な大工さんが初めから極上品ののこぎりやカンナを持つでしょうか。
適宜のアップグレードで良いのだと思います。
私が日々のカウンセリングで初めて来社するご家族に
お伝えすることの後半部分を要約しました。