ニュージーランド中学・高校留学:野豚を撃つ
日本ではまれな日常がニュージーランドにはたくさんあります。
人工の光のない夜道、羊の群れ、誰も居ない海、ドアロックしない玄関、
入れ替わり人がくる家、9時30分ころの就寝、信号のすくない道路など、
自然がそのまま保存されている状況が日本よりもたくさんあります。
第3学期が19日よりスタートしましたが、
日本から渡航した留学生はその日常にとてつもない新鮮な
カルチャーショックを体験することになります。
3ヶ月ほど私が英語を教えていた生徒のニュージーランド留学初日は、
鉄砲を抱えたホストファーザーとの散歩で、野豚を撃つという、
日本の日常ではおおよそ体験できごとからスタートしました。
自分の身の丈ほどもある大きな獲物を担いで帰宅すると、
ブッチャー担当の人がそれをさばく。
東京育ちの彼にとっては、清閑な自然のなかで人々のもたらす喧騒に圧倒され、
(わかってはいたことですが)自分の英語力のなさにスマイルと素直な心で
事態を静観する日々が続くことでしょう。
3年と半年に及ぶ「留学」のスタートはコミュニケーション・ブレイクダウン
という状態から始まったと思います。
危機感を彼は感じるでしょうか。「イエス」であると思います。
彼は次にどんな行動に出るでしょうか。
コミュニケーションが取れる人を探すことでしょう。
しかし、適当な人が見つかっても、毎日べったりとは行かないでしょう。
ゆえに、勉強に力をいれることになるというのが理想でしょうが、
それは彼の自己選択、自己責任という日本では必然の日常ではなかった
新たな日常が始まると思います。
私が彼に教えたかったこと、それは非日常を受け入れることでした。
そして、受け入れるか否かの基準を既存の知識や彼が獲得した能力に求めず、
本来人間に生まれながらにして備わっている「人間力」に従って、
ニュージーランドでの新たな生活を好奇の目で見つめることでした。
彼から短いスカイプからのメッセージが届きました。
「生活には慣れてきました。でも英語はかなり難しいです。」
渡航して数日間の印象としてはたくましいかぎりです。
留学に必要な英語力とは決して英語が話せることではなく、
読み書きということを、私は彼に繰り返して伝えました。
彼の頭が得点を取る英語知識から、使う英語知識に変わって行くまで、
幾多の苦労があるでしょうが、それを一つひとつ、克服することが、
留学の本質であると私は思います。
彼からの次回の連絡を楽しみに待つ、私の日常です。