小・中・高校留学-日本の文化とこれからの教育1
小学校、中学校時代を海外ですごした帰国子女の生徒たちは、本来なら
日本の教育現場にとって貴重な人材であると思います。
日本の企業が求める人材としての素材を10代にして身につけているからです。
・英語(あるいは他言語)によるコミュニケーション能力
・自己主張と相手を理解し受け入れること
・異文化に対する知識と対応
ところが、実際はこれらの知識や能力が日本の学校という現場では
うまく機能しないことが、彼らの悩みとなることが多くあるようです。
英語が堪能であることで、「ガイジン」といって生徒から疎外されたり、
先生よりも知識が豊富なため、疎んじられたりもすることがあるといいます。
自己主張も日本においては状況(空気を読む)を考えて行わないと、
授業妨害、わがまま、勝手などと判断されがちです。
相手を理解し受け入れるからこそ、それに対する自分の意見を言うわけですが、
言いたいことを素直に言ってしまったら、猛反発を受けてしまうケースがあり、
それが2-3回も続けば、攻撃を受けた側は「自己主張」をしなくなります。
信念や自己が確立されていない時期ですから、
その精神的プレッシャーは相当なものと思います。
異文化に対する知識もうまく教育の場が取り入れれば、
海外の実際を多くの生徒が知る機会を持つわけですが、
テストのための知識という点では、海外の実際がどうであるかという、
実際の知識の優先順位は高くないのが現実かもしれません。
グローバル化に欠かせない世界基準の教育の芽生えがあるにも関わらず、
それを活かせる場が日本の教育の日常に少ないということを、
帰国子女たちから聞くたびに、日本の教育、特に高校までの中等教育
について考えさせられます。
英語圏の初等、中等教育で日本と逆の「帰国子女」を考えてみると、
もちろん帰国子女に該当する英語での名詞はありませんし、
たとえば、ニュージーランド人で日本語が話せること、
アメリカ人でフランス語が堪能であるといった「個人」が
それゆえにいじめられるという概念そのものが
彼らには理解できないでしょう。
一方で日本では英語の英語習得熱は大人も子供も高まる傾向にあります。
「まず話せないと」ということを私たちは思っています。
グローバル化が叫ばれ、企業では、なんと「英語」社内公用語など、
ビジネス的合理主義がまかり通る時代にシフトしてゆくのでしょうか。
大学レベルでは、異文化理解のため、学生や教授陣の相互交流が叫ばれています。
私は留学という仕事を通じて、「日本の教育と文化」がどうすれば、
世界に適応しその「明確な個性」を生かせるかと恒に考えています。
教育、文化という広い分野をにわたる私たち日本人の精神活動を
このブログを読んでいただいている皆さんと一緒に考え、
私たちの次の世代に少しでも役立てててゆきたいと思います。
つづく