日曜コラム 日本人の義理堅さ
義理と人情というと前近代的な価値観のように思われがちですが、
グローバル化されたこれからの世界で
ひときわ輝ける日本が誇る価値観ではないかと思います。
アメリカのボーディングスクールに息子を通わせている
あるお父さんから春休み明けに2日間だけ、
学校周辺でのホームステイ探しを依頼されました。
アメリカのボーディングスクールでは、ニュージーランドのそれと違い、
ホームステイを探す担当者はいません。
従って、特別な依頼は、親しくしている
スタッフに個人的にすることになります。
その学校のアドミッションスタッフとはとても親しくしていて、
お互いにファーストネームで呼び合い、彼が来日すれば、
必ず彼の大好物のスシをおごり、
彼もまた私が訪問すれば、学校付近のジャパニーズレストランに
日本人生徒共に連れて行ってくれます。
私の推薦する生徒で、その学校に入学できなかった生徒はいません。
日本的に言えば、仕事とはいえ、私とそのスタッフは
固い絆で結ばれていて、その関係は長きにわたり続くことになると思います。
日本人はこの絆をとても大切にします。
また、その絆を作るために日本人は公私にわたり努力もします。
義理堅いは、私たちにとって快く響くことばではないでしょうか。
ホームステイの対象となる留学生は10半ばですから、
単独ではホテルに泊まることができません。
日本に帰国せず、アメリカ東海岸地方からフロリダに下り、
錦織圭選手の根拠地であるIMGのテニスキャンプに参加して、
戻ってくるのですが、ボーディングスクールの始まりと
テニスキャンプの終わりの間の2日間を埋めなければいけません。
私はそのような理由を自分の友人とも思っている
10年以上の付き合いがある彼にきちんとメールで説明しました。
会えばお互いスシを食べジャパニーズサケを飲みながら、
教育や学校の人間関係などをざっくばらんに語り合う中です。
私は当然、「まかせてくれ」といった彼からの答えを期待したのですが、
現実は、担当外なので他のスタッフにあたってくれでした。
彼の指名した他のスタッフにあたると、
ホームステイは探せないという解答でした。
鶴田浩二風に言えば、この話、義理に欠け、
筋が通らないということになると思います。
私は依頼者のお父さんに、「日本人とアメリカ人の違いですかねぇ・・・」
と無意識にぼやいてしまいました。
お父さんは、「ハハハ・・・」
義理という堅苦しく思われる言葉のありようは、
こころのこもった親切心と楽観したく思います。
それをマスト(義務)からウィリング(意思)に変えられるのが、
日本人の精神のダイナミズムといえないでしょうか。