小学・中学・高校留学-学校と社会の価値観について
社会で最も必要とされる能力はコミュニケーション力と言われています。
その能力を会社や組織が「教育」してくれる時代は過ぎました。
すなわち、その組織の目的や文化、人間関係を理解して、
自らのタスクを果たす即戦力を社会は求めていると思います。
コミュニケーション能力を私はそのように理解しています。
初等・中等教育の中で、コミュニケーション能力を取り上げ、
そのスキルを訓練したら、大学から社会人へのスムーズな移行に
大変役立つと思いますが、大学入試には直接、必要ないこの能力を
真剣に取り上げ、向上させるカリキュラムのある学校を
私は知りません。
10代の日本の子どもたちがしのぎを削りながら、一所懸命に取り組んでいる
受験勉強ですが、私は彼らのエネルギーと意識を少しでも、「社会人用スキル」
に向けてトレーニングができないものかと思っています。
学校の価値観が社会(会社・組織)と直結すれば、
受験勉強以外の現実把握に少なからず役に立つと思われるからです。
教えることの優先順位の1位が大学入試であることは、世界の中等教育界の
スタンダードですから否定はしませんが、これからの時代に対応するためには、
社会での価値観と学校で教えていることの価値観が融合することが、
学校の生き残りをかけて近い将来必要になると思うのです。
社会のニーズを教える側と教えられる側が正確に共有できれば、
受けたい授業となるのではないでしょうか。コミュニケーションスキルは
「大学に行ってから、自らの社会参加を通じて学ぶもの」
という考えもあると思います。
しかし、グローバルな情報社会にあっては、10代からその機会が
与えられることが望ましいと思うのです。
私が受験生の頃、「天竜寺船は何人乗りか」という大学受験の問題に
私は「日本史ってそこまで知らないといけないのか」と思いました。
最近でも「ペリーは何艘の船で日本にやってきたか」という問題を耳にしました。
昔と違い、インターネットですぐにこのような瑣末な情報は
得られるようになりました。
受験が終われば無駄になる知識を必死に覚えこむことは
グローバル時代に対応しないと思います。
まず、実社会がそれに気づいて反応しますが、
それが小・中学校に及ぶまでどのくらいの時間がかかり、
その結果を学校が対応するまでまたどれだけの時間が費やされるのでしょうか。
子どもたちの多くが覚えこむだけの勉強に疲弊し、悩み、苦悩しています。
彼らの素直な意見を受け止め、新たに彼らにチャレンジの道を用意すること、
もちろん、そのリスクと努力を支えるのは新たなる価値観です。
つづく