小学・中学・高校留学-激動時代の教育 その3 プライド
日本をホームにたとえ海外をアウェイとすると、アウェイで長期ロードを
こなした選手たちには、ホームの安心感、暖かさ、意欲など「ありがたい」と
自然に感じると思います。
もし、ホームだけでアウェイがないとしたら、
ホームオンリーの選手たちはどうなるでしょうか。
応援されて、当たり前。
勝っても、負けても、応援されている。
アウェイがあるから、悔しさも、緊張感もあり、
ホームスイートホームという言葉が生まれるのではないでしょうか。
激動時代の教育で私があげた「プライド」の原点には自分の文化圏に対する、
感謝、思慕、融合、協調などの心をあたたかくする感情があります。
ホームは留学生にとっては国家→地域社会→家庭という構図の中で、
常に意識する、あるいはせざるを得ない精神作用となります。
卑近な例で恐縮ですが、私はアメリカに2年間留学しましたが、
めったに日本人と思われないことが、大変残念でした。
アーユーチャイニーズ? - ノー
コリアン? - ノー
シンガポール? - ノー
ビィエトミーズ? - ノー
? - アイアムジャパニーズ
自分が生まれ育ったところは日本だという自然の意識が、
私にはあったと思います。
いろいろな国の人たちと出会いましたが、
みな自分の国あるいは故郷とか、家族など自慢していました。
政治や経済など、部分的な批判はあっても、母国を
全面否定した人を私は知りません。
母国との文化的、社会的、経済的コントラストの中で、
留学生というビジターはとてつもない刺激を受け、
大小さまざまなインパクトのなかから、
「やっぱり自分の国はいいなあ」
「親兄弟はありがたいなあ」
と感じるということを私は何百回も帰国した生徒から聞いています。
戦後、私たちは自己否定を強いられ、
生きてゆくために、価値観の転換が必然となりました。
これは80年代、私がお世話した生徒の親(特にお父さん方)から
頻繁に聞いた話です。今までの「お国のため」という自己犠牲は全面否定され、
機会均等・平等社会が急に出現した。
当時、10代であった人々は、あまりの価値観の急転に
「人間不信」に陥ったと言います。
そして、その混沌を生き抜き、事業を成した人たちは、
バブル期以前に「教育」の国際性を感じたのでしょう。
素直な日本の人々はそれを受け入れ、リセットされた生活から、
持ち前の勤勉さや律義さを経済に集中させて、今の日本を創りました。
豊かになってみて、置き去りにされた、精神や文化の大切さを
私たちは気づき始めているのではないでしょうか。
また、それが今後の日本を支えることになるのではないでしょうか。
若い人たちがアウェイで学ぶことで、
素直にホームを感じることができると私は思っています。
アウェイは人を強くすると私は信じています。
また、優しくするとも思います。
自分と異なる価値観、生活、文化を知ることで、
自分をより見つめる機会を得るからです。
そして、自分が認められることは、相手を認めることを知ります。
そのために学び、自分という器を広げることを知るわけです。
「誇り」それは、一人ひとりの知識と知恵が作り出す、
グローバルな意識なのではないでしょうか。