14歳のサマースクール-異文化の衝撃と自立への第一歩
都内の私立一貫校に通っているある生徒さんが語ってくれた去年の
サマースクール(ほぼ自己手配)の実直な印象に私は感動しました。
ジュネーブ近郊にあるインターナショナルスクールでのサマーは
空港での出迎えの不安から始まりました。
一人旅が初めての彼女はすべて日本の「学校」がインプットされている状態。
Tシャツにジーンズすがたのアイラインと目が同じくらいの太さの
ケバいお姉さんの出迎えに戸惑い、乗ったバンの運転手も学校のIDは示さない。
同席した愛想のよくないロシアの高校生と思しき男女とも話せる勇気はない。
「私どこかに連れてゆかれたらどうしよう」と思ったそうです。
(日本の学校であれば「ありえない」でしょう)
目的地にたどりつき、安堵したのもつかの間、翌日から始まった学校で、
先生の言っていることが早口で分からない。
朝食は、シャワーは、クラスはどこなのと疑問が渦巻き、
丁寧にクラス全体を動かす日本との学校との差異に圧倒され、
マニュアルのない学校で「慣れるのに必死」の一週間が過ぎてゆきます。
2週目に入り、欧米の生活習慣に戸惑います。
日本の学校では考えられない、ハグやキスの衝撃。
チャラチャラしたヨーロッパの男女たちの態度。
しかし、「必死」の状況から脱し、周りが見えるようになり、
彼らの感情表現、意思表示といった生活様式を徐々に知る段階を踏みます。
3週目は「悩み」に尽きると彼女は言います。
日本では群れることが嫌いで西洋のいい面ばかりを取り上げ拡大していたが、
彼らの個人主義という現実は決して自分の理想ではない。
「これっていったいなんなの」
という考えに圧倒されてしまったようです。
また、日本では「決められる」(スケジュールを与えられる)ことが厭で
自分という「個」をより大切にしたいと思っていたにもかかわらず、
「もっと決めてよ」という内なる声と彼女は戦うことになります。
初めて体験する自己嫌悪です。
4週目、彼女は「慣れた」と言います。
利発な彼女は慣れることを「考えるのを停止」したと表現しました。
この達観が日本の教育で培われたのか、あるいは親から引き継いだ「文化」
なのでしょうか。
そして彼女は(精神的に)「しなやかでない」と自分を表現しました。
「斉藤さん、私3週間の悩みがすごく無駄なような気がして・・・」
「無駄なことなど何にもないよ。3週間があったから4週間目がきた」
「3週間を削って、いきなり4週間目になったら、世界は天国だろうね」
「人間はそれほど都合よくはできていなよ」
1か月ほど前、お母さんから「インターネットで見た」とのことで、
サマースクールの問い合わせがありました。
その後、何回かの学校決めなどのミーティングを通じて、
私と彼女の接点が生まれましたが、彼女の精神の闊達としているところは、
去年の経験を生かして、「今年はよりタフな勉強にチャレンジしたい」
ということ気概を示したことです。
私はコンサルタントとして、彼女の心のストーリーが聞けたことを
うれしく思いますし、手続きだけでないサポートができるこの仕事に
やりがいを感じます。
私は彼女の話から2つのことを学びました。
彼らの一人旅の導入に関する細心の注意と手配。
異文化との接触で起るべき精神的葛藤の事前告知とライフラインの確立です。
彼女の精神の成長を皆さんに秋にご紹介できることを楽しみにしています。