教育の原点3 - 家族の絆とは
教育を突き詰めてゆくと「自立」、「自己認識」「社会貢献」、「共存」、
「可能性の追求」などに集約されてゆくと私は考えています。
理屈で考えると、教育の最重要要素を達成するためにかならずしも
留学が必要なわけではありません。
むしろ、国内の公の教育機関でそれが達成されるのが、
本来の教育の目的とするところだと思います。
私は理屈ではなく、現場を見続けてきた経験として、
そこから帰納される要素として「家族の絆」の大切さを
提言しています。
家族の絆とは具体的には何かと申しますと、
母の概念だと思います。たとえば、
母国、母なる大地、航空母艦、マザーテープ、
母国語(マザータン)、母性本能、母屋、
これらの単語の母を父に変えることは難しい。
日本でも英語圏でもお母さんというのは特別です。
心の奥底では母に抱かれていた胎児の記憶は不滅なのだと思います。
どんなにかしこく聡明で成績の良い子でも、
悪たれ三昧で親に対して不敬の10代のやからでも、
口数少ないおたく的な子供でも、
口数少ないスポーツ万能的子供でも、
友達を作るのが上手で如才ない社会的な子供でも、
留学して、喜びも悲しみも苦しみも結局報告先はお母さんです。
困ったときの神頼みはまだ本当に困ってはいない。
(通常、留学生はこの段階で神にたよらず自分でどうにかしてしまいますが)
留学生が本当に深刻に悩んだとき、母の気構えとこころがどれほど、
彼らに大きな影響を与えるか - 私はその怖さを身をもって経験しているがゆえ、
正直に自分の気持ちを書いているつもりです。
「私は英語が話せないから」
「日本の学校でないので、現地のことは解りません」
私とお母さんとのやり取りはこのような「原点」からスタートします。
「英語が話せなくても、現地の知識がなくてもかまいません。」
「お母さんがすなおに感じる範囲でアドバイスをしてあげてください」
繰り返し、繰り返し、このようなやり取りをしてゆく中で、
親子でいろいろな発見を繰り返してゆく - だから留学なのです。
本人の苦労や努力が極限に達しないと、
お母さんパワーは発揮されないのかもしれません。
いや、いろいろな社会的既成概念にとらわれて、
本当のことが見えていないのかもしれません。
留学は本当に「高い金を払って苦労を買いに行く」、
現代版「おしん」なのだと私はカウンセリングで皆さんに申し上げています。
そろそろ「『おしん』ってなあーにぃ」というお母さんが
出るのではないかと少しばかりの心配を胸に秘めつつ終わらせていただきます。