平清盛の実像
平清盛の坐像を見た時の衝撃は生涯の記憶として、
私の脳裏に焼き付いています。
場所は京都、五条大橋からほど近い六波羅蜜寺です。
空也立像ほか鎌倉時代の重要文化財彫刻が並ぶ中で、
平氏の棟梁として財力と権力をほしいままにし、
一族をして「平氏にあらずんば人にあらず」と言わしめた
あの清盛の坐像が自分では信じられないような、
迫力で私に迫ってきました。
武人として当代一の清盛に私は勝手なイメージを作っていました。
大柄でたくましく、行動力と決断力にとみ、勇猛果敢、
人並み外れた体躯と不屈の精神を象徴するようなつらがまえ・・・。
とんでもない私の空想であることが、彼の坐像を一目見てわかりました。
武人といえども、六波羅蜜寺の清盛は傲岸さのかけらもなく、
一族のリーダーとしてその繁栄のため、知恵を絞り、
力を備えた調整役の頂点に立つ人
ではなかったのだろうか・・・、とその表情から察しました。
彼と私の距離がどんどん縮まり、目の前の経巻を手にした清盛は
一心不乱に人の世の無常を受け止め、涅槃に至る過程にあるようでした。
「どうしたら民は救われるのか」
「支配とはなんなのか」
「権力、富、栄枯盛衰、盛者必滅というこの世のならい」
さらに近づくと彼の息遣いが感じられる気がしました。
「清盛さん、もしかしてあなたは・・・」
私の精神は彼に引っ張られるように吸いつけられ、
私の視野は極端に狭められ、さらに
じりじりと近づいてゆく私は空間や時間の外にいたのかもしれません。
とにかく見てみよう。自分の目で確かめてみよう。
きっと何かある。
そのような衝動がアメリカ留学の私のきっかけでしたが、
それから20年以上もたって訪れた、
関西という異文化の中での私の2年間は、
日本という国のアングルを自在に変えました。
教科書で見たたくさんの写真の本物がそこにはありました。
本物を見るたびに新たな発見と想像がありました。
感謝という言葉以外に今は思い浮かびません。
私にとっては能動的実習「教育」の始まりが
そこにあったように思います。