人が機械に使われないために
定期健診で東京の日赤医療センターに行き驚きました。
1年ほどの間に病院施設が建て直されて、管理システムも刷新されていました。
外来患者は携帯のような機械を持たされ、
診察内容、時間、指定場所が表示され、
順番が来るとドクターからのブザーで知らせるなど、
従来の「紙」がなくなりました。
待合で待つ初老の方々の会話が聞こえてきました。
しかめっ面の男性は、
「この病院、新しいけど、どこに何があるやらさっぱりわからない」
ステッキをつき、ブレザー姿の老人が、それに応え
「私らは、結局機械に振り回され、使われているんだよ」
映画2001年宇宙の旅ではHALというコンピュータが意思を持ち、
いわば「人を使う」というありえない究極の文明皮肉を、
スタンレー・キューブリック監督はあえて演出しましたが、
2010年の現実はこの人の言うとおりでしょうか。
私が80年代にお世話した数学の秀才は、
その才能を買われて、自分の学校(ボーディングスクール)の成績管理システムを、
作った男ですが、彼曰く
「コンピュータが行うどんな予測も、その仮説となるデータは人が入れる」
ITの世界で25年も前のことを引用するのは笑止千万でしょうが、
私は彼の言葉を一生涯忘れることはありません。
あらゆる機械が人によって考えられ作られるなかで、
いつの間にか、機械が人間を使っているという錯覚にとらわれるのは、
私たちのこころすなわち意識が満足していない証拠ではないでしょうか。
日本を出て海外で学びたい理由の一つは、
外に向かう意識(たとえば希望、夢など)を満足させる、
無意識ともいえる人の作用ではないかと思います。
留学生の皆さんが、異文化で自分と戦い、
自分を強くして、機械を操り、
機械、すなわち人のロジックと英知の賜物を、
好きになってほしいと思っています。