#2 社会としてのボーディングスクール
<前日のブログに続きます>
ボーディングスクール・コミュニティーになぜ教育の本来の姿を私が
見出すかというと、教える側の価値観と教えられる側の価値観が
社会への貢献という方向に無理なく一致しているからです。
先生がある特定の価値観を押し付けるのではなく、
生徒の自立を図りそれを応援することに
徹しているところが素晴らしいのです。
ボーディングスクールが生徒に教えようとしているのは、
学ぶことを通じて人として完成するということです。
Whole Person(健全な人格のある人)を彼らは目指していて、
次の段階の教育、すなわち大学に進学した時、そこで健全に学び
社会に出るために十分な準備ができていることを目指します。
ボーディングスクールがカレッジプレップと呼ばれるのは、
大学入試対策のための学校ではありません。
大学で学ぶのにふさわしい知識、教養だけでなく、
学ぶ目的や基本を身に着けているという意味に捉えられると思います。
教育は一生続くものではないかと思います。
初等、中等、高等教育という過程があるのは、
そこで学ぶ生徒が教育を通じて、社会により貢献できる状態を
つくると考えるべきではないかと思います。
それ故に、教育は一生涯続くべきでしょうし、学びの姿勢は、
歳を経れば経るほど、その広さと奥行を広げるのではないでしょうか
大学に入るまで徹底して受験教育をすることで果たして
一人前の人間として世間にまかり通ることができるでしょうか。
日々勉強に明け暮れ、知識を詰め込むことを強要され、
やがてそれが当たり前のこととして子どもたちに捉えられることで、
果たして日本が世界から尊重される国として
これからも存続できるのでしょうか。
これからの若者たちには、ぜひ若いうちから日本を
客観的にみることのできる教育を受けてもらいたいと私は切に思います。
できることであれば、前期中等教育時代に1年くらいは
異文化の中で苦労してもらいたいと思います。
その苦労がかわいそうだというのであれば、
せめてサマースクールくらいは経験させてあげてください。
それは旅行として捉えるのではなく、
かわいい子には旅をさせるという概念で行ってはいかがでしょうか。
すでにこの世の中、親の世代が経験した日本復興期のハングリーさも
目標とする生活基準もすべて満たされてしまっています。
つづく