日曜コラム 高度一万メートル
高度一万メートルを超す上空で機内という極めて限られた空間にいると、
私の場合ですが、感情、精神の高揚が顕著になります。
それが私の場合、海外の学校訪問をする「チップ」となっています。
10時間以上の高速空路移動です。
北半球への国へと向かう時には、
どうしたら時差ボケ(Jet Lug)を最小限に止められるかという工夫は、
私にとって切実な問題です。
機内でなるべく眠らずに、過ごすかをいつも考えます。
読書、映画を観る、ブログを書くということは欠かせません。
密閉された空間であっても、地上よりは少しばかり低い気圧、
乾燥気味な空気、限定的空間-地上から離脱されて、(あるいは「して」)
「仕事なし空間」にいると空想的観念がいろいろと頭に浮かびます。
教育ということについて考えるには機内はとてもいい空間です。
教育は手段と思っています。
人々の生活を幸せに安息に行うための知恵が
教育といっていいと私は思います。
それを与えるのも受けるのも人間ですから、
かならず人が中心になって教育は考えられるべきと思います。
しかしながら、時としてそれは、人々を不幸にもします。
教育は両刃の剣ではないでしょうか。
その使い方を間違えると、一人、一社会、そして一国の不幸だけでなく、
世界を破滅に導くといってもいい時代になりました。
人々が蓄えた知識が間違った方向に向けば、人類が一瞬にして
消えてしまうような力を人は持つようになりました。
教育的視点が狭められることは、
もはや地球の寿命を秒読みにすると言えないでしょうか。
今、シカゴに向かう機内にいます。
今年最後の学校訪問が始まります。
異国の学校を訪問することで、生徒の将来を
ガイドするのが私の使命と思っています。
彼らが受ける教育のベストを探すのが私の役割です。
教育はテストの点数だけで評価を基本に考えられるべきではありません。
若者をそのような価値観で未来に導いてはならないと私は思います。
では教育の価値観とは何か。
それは、世のため人のためということではないでしょうか。
本来、教育はそのような視点で作られたと思います。
なぜならば、人はひとりでは生きていけないからです。
高度1万メートルで私はそれを感じています。
まだ汝自身を明確には知らない若者にそのきっかけを
新たな教育の場で発見してくれるよう、
世界を正しい方向に導いてくれるよう、
この旅が活用されることを願っています。