目標設定のための学習
成人のための塾があります。
その目的とするところは、世の中に貢献するための
方法をいろいろと模索することだそうです。
そこに入塾したエリート大学生が、難しい課題を尋ねられました。
3名の塾生は、自分で課題を決めることと述べました。
課題とは、世の中に貢献するために自分が出来ることですが、
彼らにとって、自分自身と対峙することが難しいことがわかります。
日本では、中等教育までは、すべて課題は明確に決まっています。
生徒たちは、何も考えなくても、やるべきことは明確です。
それを、どれだけ早く、合理的にこなせるかで、
ランキングが決定され、進学先も自分の意思がなくても、
間違えなく決定されていきます。
すなわち、自分の考えがどうであっても、いくつかの決められた
道を選択することに不自由することはないと言えます。
驚いたことに、日本のトップ校を終了したエリート諸氏であっても、
白紙の状態から、社会貢献のプロジェクトを立ち上げるとなると、
どこから、どのように手を付けて良いのか分からないというのが、
本音であるように思います。
決められてことを、決められたとおりにこなすことは
とても大切な日常生活の要素です。
しかし、世の中の変化が加速されている今、
いつまでも受け身の思考が通用するとは限りません。
子どもたちの世界も受け身の学習をいかにして、
課題が生み出せるようなものに変えていけるかが、
これからの教育の大きなテーマであるように思います。
しかし、教育という分野は、特に大学に入学する前においては、
考え、試し、試行錯誤し、結果に結びつけるなどといっても、
山積された課題をこなしながらの平行学習は、
現実的ではないことは、明白です。
結果的に、総論には賛成でも具体的には、先送りにならざるを
得ないのが、日本の教育の実際ではないかと思います。
この流れを大きく変えるために、海外に目を向け、
異文化にその解決の糸口を見出すことは、
現実的ではないかと思います。
英語を話せるようになることは、留学においては必須です。
話せるようになれば、書くこと、読むことも上達します。
そのでなければ、学習についていけません。
ついていくことを、先生は手取り足取り教えてはくれません。
そのための情報提供を先生はしてくれますが、
それは、基本的には自分で考えることなのです。
このようにして、小さな目標設定が留学では当たり前になります。