現代における苦労
多くの偉人に共通しているのは、
彼らの若い時期に様々な苦労を経験していることです。
10代若者の苦労は、その人の人生を大きく左右する要素が
豊富に含まれているのではないかと思います。
苦労とひとことで言いますが、若者がそれに飛び込むといった機会が
現代では失われつつあるのではないかと思います。
厳密にいえば、失われるというのではなく、それを回避する方向に
進んでいると思えます。
とにかく安全に安定した日常を追求するための
教育がなされているように思えてなりません。
子どもたちが好むと好まざるとに関わらず、
小学校の高学年あたりから受験対策に邁進し、
やるべきルーティーンを繰り返すことで、
苦労の代わりに安定を手に入れることが目指されているように思います。
その日常に決別し10代初めに留学をすることは、
実に日本では体験できない苦労を伴います。
留学の動機は、英語が「自由に」話せるようになりたいという
ことがナンバーワンですが、このわかりやすい目的の裏に、
その人の人生を大きく変える要素がぎっしりと詰め込まれています。
高等教育時代の留学と違って、中等教育時代の留学では苦労を
自ら回避できません。
一般には留学は高校であれば1年間、そして大学時代
あるいはそれ以降で自我が確立してからが妥当と思われています。
自我が確立しているからこそ、その自我を超えられないところに
実は大きな問題が隠されています。
留学先では、自分で多くのことを決めなければならないため、
結局、自分の世界を広げることが出来ずに、
現地での日本人コミュニティーに埋没したり、
自室に閉じこもりがちだったりするケースは珍しくはありません。
すなわち、苦労することなく、留学生活が終わってしまうのです。
中等教育機関への留学は、成人の留学と違って、
自由度が極端に少ないために苦労は回避できません。
陸の孤島ともいえる環境のなか、留学生たちはすべからく
サバイバル力を試されることになります。
英語の苦労、生活習慣の違いへの苦労、人間関係の苦労など、
後を絶たない問題が自分に襲いかかってきます。
その中から、「自分」という核が作られるところに、
中等教育時代の留学の価値があります。
中等教育時代の留学を語学力の習得にまとめることはできません。
それでは彼らの留学の本質ではありません。
「苦労を買いに行く」というのが、10代の若者の留学の本質と
私は思っています。